ポーズと自意識
「ハイポーズ」と言って写真を撮っているところによく出会いますが、ポーズが取れるのは人間だけです。
動物にポーズをお願いするのは難しいでしょう。
でも動物はどうしてポーズが取れないのでしょう。
動物には自分がないからというのが理由です。
人間は自分があるから「ハイポーズ」が可能だということです。
「ハイポーズ」は自我論に通ずる大切なことを語っています。
自分があるからポーズが取れる、このことをもう少し深めてみましょう。
写真撮影の時だけでなく人間は実生活の中でもポーズをとっています。
ほとんど気付かずにやっていますが、ポーズは至る所に出没しています。
人と会う時には必ず登場します。
お互いに挨拶という共通の仕草を行います。
この挨拶という習慣はとてもありがたいものです。
もし人との出会い度にどう出会うかを考えなければならないとしたらそれだけで気が狂ってしまいます。
しかしよく観察してみると習慣としての挨拶は同じでも、挨拶の仕方は人それぞれです。
同じ挨拶しながらポーズをとっているからです。
きっと自分をよく見せようと思っているのです。
自分という意識がなかったら、よく見せようとも思わないですから、ポーズは自分、自意識から生まれるのです。
相手の顔を見てにっこりします。
実はこの笑顔も人間特有のものです。
人と出会う時ににっこりします。
嫌いな人と出会う時はぶすっとします。
人と出会う時には表情が生まれます。
これは自分という意識があるからです。
ポーズと同じで動物には表情もありません。
表情というのは人間特有のものです。
飼い犬が、飼い主ににっこりしたら、それは何かが乗り移るっているのです。
動物はにっこりできませんから、その犬に何かが取り憑かれているのです。
人間は自分に対してもポーズを取ることができるのです。
しかしこれはあまりほめられることではありません。
自分に対してポーズをとっていると、自分が育ちません。
自分がいつも周囲との辻褄ばかり考えているからです。
自分に対してポーズを取るというのは自分を誤魔化すということでもあります。
言っていることがコロコロ変わる人がいます。
毎日のように言うことが違う人です。
その人は言葉でポーズをとっているのです。
その瞬間を、その場をなんとかうまく辻褄を合せているということです。
本心でものを言うようになったらポーズは消えます。
鏡に向かってにこにこしたり、表情付けしたりするのは何かがおかしいです。
これと同じで自分に対してポーズを取るのはおかしいことなのです。
精神修行で行を積んで来ると、自分が安定してきます。
自分にポーズを取らなくなるからです。
自分は素のままの自分でいいということに気がつくのです。
そして今までポーズをとっていた自分ともともとあった自分が一つになるのです。