生き延びようとする本能、生命力と教育の課題
ごく当たり前の日常生活を送っている時、私たちはあまり深く考えないで生きています。
ところが、そんななんでもない日常生活にもいろいろなことが係わってきているのです。
それらは刺激という言い方でまとめることができます。
生きているという実感は、そのさまざまな刺激の中から生まれます。
その実感の中に自分という意識が育ちます。
今ここで書いたことは、普段はあまり意識しないでいるだけです。
ある子どもが家庭の中で、子どもの耐えられる限界を超えている様な辛い体験をしていたとします。
たとえば、親から見捨てられているという体験があったとします。
暴力だけでなく、親が全く子どもをかまわないということも子どもにとっては同様に辛い体験として残ります。
肉体的に危害を加えるものではありませんが、やはり暴力です。消極的暴力といっていいと思います。
Nという女の子は、母親から全くかまってもらえない幼児期を過ごしました。
その間辛い思いに耐えて生きていました。
幼い心を預けるところがないまま、結果的には精神的にいじめ続けられていました。
それは修羅場です。
Nちゃんはもう生きていたくないと思ったと言います。
もちろん何度も死にたいと思ったともいいます。
幸い、この親子の関係がおかしいと気付いた近所の人の通達で、Nちゃんは五歳の時に施設に預けられます。
そして三年前から里親が見つかり今はそこで妹さんと一生に生活をしています。
自殺には至りませんでした。しかし彼女はまさに「耐えながらもなんとか生き延びた」子どもです。
幼い成長期に生きていることを否定された、その中で、生き延びる本能に従ってなんとか生きていいた子どもです。
本当によく生き延びてくれたと、彼女を守護してくれた力に感謝します。
彼女は拒食症と診断されているわけではないのですが、今でも食べることを、どこか無意識の部分で拒否していますからとても痩せています。12歳で、39.8キロだということです。
Nちゃんの様に幼児期に心の中にシコリを持った子どもは、外から来るものが優しさでも逆らいます。
そうして自分を守ってきたから、逆らわざるを得ないのです。習慣として深く子どもの中に巣食ってしまったのです。
里親が相当しっかりそのことを把握していないと、「わたしがこんなに優しくしているのに」とNちゃんを誤解することになります。
もちろんNちゃんは今でも外から来るものを、とりあえずははね返します。それは深く心の中に巣くった習慣です。
歪曲した自己防衛の本能です。
そしてさっき復讐的と言いましたが、この復讐心は、いつしか他の人を支配しようとするものに変わります。
そして高飛車に相手に命令口調で向かって行きます。
自分の思い通りにならないと、ふてくされた様な反応をします。
私たちはみんな生命力というものを持って、それで生きています。
生命力というのは生物学的な説明で充分なものではなく、その領域を超えて生きる意志にかかわります。
心理学が触れたがらない意志の問題がここで登場します。
生命力の中で意志が働きます。そしてこの意志が人間の自分という意識を形成すると考えていいと思うのです。
生命力が育っていない子どもは大人になって自分を持て余します。
自分を自分の中だけのものとしてしまい、外に出て行けなくなってしまいます。
今、引きこもりという現象が増えていますが、そこには生命力の形成という成長プロセスで育たなかったものがあるのではないのかそんな気がします。
子どもを元気に外に向かえる成人に育てるためには、生命力をしっかり育てることを考えなければならないということです。
どうしたら生命力は育つのか、教育の大きな課題がそこにあると言えます。
生きる力ということを文科省は言いますが、具体的に何をすべきなのかはまだ見えていないようです。
私たちライアー・ゼーレの課題はまさにそこにある思っています。
To do that you can simply add in an expiring callback with onExpiry: and the function you want to call when it expires.