ダブルトップのギター
最近のクラシックギターの世界はどんなだろうと、名前を聞いたことのない、若手のギターリスト達の演奏をYouTubeで聞いてみました。
最初の印象は、女性ギタリストが増えていることと、音がクリアーになっていることでした。
音の変化については、初めは録音技術が進化したのだろうと思って聞いていましたが、何人かの演奏を聞いているうちにそれもありそうだが、それだけでなくもっと本質的なところに変化がある様な気がしてきました。しばらくみたり聞いたりしていると昔とは演奏法が変わったことが気になりはじめたのです。特に弦を弾く時に力を入れていないのに大きな音が、しかも不自然な強調された音が出るのかが不思議で、楽器に変化があったのか、それとも弦の違いかと勘ぐって調べたところ、ダブルトップというギターが作られていることを突き止めたのです。
音がクリアーになる様に演奏する。これはどの楽器にも共通した約束事です。そのためにギターの場合は、指の力の入れ方、角度、さらには爪の形や長さなどにそれぞれの演奏家が工夫をします。最近の若手の、特に女性の演奏家方は驚くほど長い爪で、軽くはじく様に弾いています。ここに気付いた時点でギターの作りそのものに変化があったことを予感して、色々と検索したわけです。
ギターの前身といってもいいリュートはルネッサンス、バロックの時代は男性が受け持っていた楽器です。ところが鍵盤楽器の方は意外に思われるかもしれませんが女性が弾いていました。弦をはじくというのは思いのほか力が要るもので、男性の方が指に力があるため撥弦楽器は男性の仕事ということになったのではないかとい推測します。
ギターの世界でも女性の進出はここ二十年目覚ましく、昔は紅一点という感じで、幾多のギターリストの中で女性のギター弾きを探すのが難しかったのに、最近の人気ギターリストは女性で占められていると言えるほどの変わりようです。その変化の原因が他でもない、女性の指の力でも十分な音量が作れるギターができたということの様なのです。そのこと自体は嬉しいニュースで、ギター音楽も女性の感性から生まれる音楽が楽しめる様になったということなのですから。
さて楽器の方に話を戻しましょう。大きなクリアーな音が出やすい楽器をどの様に見たらいいのかということです。
利点と欠点を含め簡単に要約すると・・
かつての音作りに費やされたエネルギーが、大きな音クリアーな音作りが容易になった分、他のことに使われる様になったということです。テクニックの開発に使える様になったといっていいと思います。しかし音作りというのは楽器演奏にとっては心臓部、命に当たるものだということはがっ気を演奏する者達は知っています。演奏家達は、楽器の種類を問わず懸命に最高の音作りに専念しながら、自分の音と言えるものを作る努力をしたものです。それは音楽性を磨くということと並行して行われたのです。そしてついに音の中にその演奏家の音楽そのものが聞こえてくる様になったと言えます。
ところが音量とクリアー度を楽器の方が引き受けてくれる様になると、演奏する立場から見れば音作りは以前ほどの時間を費すものではなくなり、その分技巧的な方面に時間が費やせることになります。そこで演奏曲目も技巧、テクニックに富んだものが際立ってくる様になるのですが、実はそれらは音楽の中心部から少し外れているため、音楽体験の深さをそこに期待することはできないものなのです。
それに加えて、音作りの曖昧さから生まれるものが目立つ始めます。これはとても残念なことです。コンサートで演奏を聴いている時には大変なテクニックに度肝を抜かれて家路に着いたのに、次の日目覚めて昨日の音楽会のことを思い出しても、なんだったのだろうと、よく覚えていないことがあるのです。優れたテクニックはその場を幻惑させられても、余韻としては薄っぺらなもので残らないものなのです。
私は、クリアーで大きな音の出るギターにいささか否定的な立場を取っていますが、大きなクリアーな音のギターを擁護する人たちもいるはずです。特にコンクールに出て演奏効果をアピールするには絶好の楽器です。第一印象の聞き栄えがいいですから、審査員達へのインパクトは強いでしょう。また大きなホールでの演奏には有利ですし合奏する場合にも相手に音が届きやすくなるはずです。といった点はこの楽器が誇っていいところです。しかしダブルトップのギターを使っている演奏家達の演奏をしばらく聞いていると、共通するものが聞こえてきます。演奏が雑なことに気づくのです。一音一音の音もですが和音を引くときに音がバラバラでまとまりを欠いていて、特に六本の弦をいっぺんに引くとき(ギター用語でラスゲアドと言います)、しっとりした演奏ではなく、音量に翻弄されてしまっているのです。それは演奏としてはもちろん音楽として致命的なことです。
ギターを始め撥弦楽器全てに言えることですが、弦を弾く時に込める思いは格別なもので、ときには一音聞いただけで体が震えることがあるほどです。ところが、音がすぐ出てしまうの楽器で演奏すると、音作りへの気合が半減している様で、責任感の伴わない音といってみたくなる様な音になってしまいます。それは命がけの音作り、自分の音に責任をかけた演奏とは一味も二味も違うのです。
その結果どうなるかと言えば、ふくらし粉を入れた様な音はすぐに飽きてしまうのです。