歌わない時代
人間のことを、ホモサピエンスと言います。道具を使う存在だからです。
オランダの人類学者、ホイジンガは人間は遊ぶ存在ということでホモルーデンスと名づけました。
私は人間は歌う存在だと信じています。
人間が歌に託すものは測り知れません。私たちが心、感情と言っているもの全てです。
歌は究極です。老子の道の様なものです。
先日空気がきれいなスイスの山の中にいて、望遠鏡で天体を見ている時、「宇宙も歌っている」と思いました。
歌は究極です。しかもどこにでもあるものという魅力ある二面性を持っています。
人間が歌わなくなったらどうなるのか。
そんなことを考えただけでぞっとするのですが、答は一つです、心が干からびてしまいます。
そして肉体は病気になって滅びてしまいます。
歌は言葉の一番美しい姿です。
ですからここで歌という時言葉という意味も含まれています。
昔ドイツに王様がいて、生まれたばかりの子どもがどんな言葉を喋るのか知りたくて、貧しい時代によく見られた捨てられた赤ちゃんを集めて、乳母たちに育てさせました。
その時子どもに向かって喋ることを禁じました。
どうなったかというと、子どもは次から次と死んでしまいました。
もちろん食事も衣服もちゃんと与えられていました。
言葉は生死にかかわる問題なのです。
それは心は言葉から栄養をもらっているからです。
そして心は勿論歌から最高の栄養をもらっています。
小さな子どもに早くからコンピューターを教えるより、お母さんが歌ってあげることの方が大事てす。
歌は子どもの生命力を高めます。免疫力を高めます。
それだけでなく、絶望的な時に、命を救うのです。
昔ノルウェーの登山家が一人でロッククライミングをしていていた時のことです。
墜落して大けがをします。
普通には歩けない程の怪我です。
しかし彼は必死に登山者が通る道まで這いつくばってたどりつき、そこで通り掛った人に助けられました。
その登山家は必死に足を引きずりながら、お母さんが子どもの時に歌ってくれた歌を口ずさんだそうです。
彼は「あの歌がわたしを救ってくれた」と言っていました。
雪崩にあって雪に埋もれた人が氷の中で何日間か生き延びました。
彼はずっと歌を歌っていたと、後日語っていました。
凍傷で足は切り落とされ今は車椅子の生活ですが、歌い続けているそうです。
神戸の震災の時にも瓦礫に埋もれた人が歌を歌って生き延びたということが報告されていました。
歌を勉強して声楽科になってほしいから書いているのではありません 。
歌を生活に取り戻してほしいのです。
お母さんが赤ちゃんに歌ってほしいのです。
その歌を聞いて子どもがなにを考えているのかは解りません。
ただお母さんが音痴でも、赤ちゃんは世界で一番上手な歌を聞いているのです。