時々私の心は白紙になってしまうことがあります。

2020年11月19日

人の心の中というのは、一日に何万という想念が駆け巡るそうです。心は休まずに活動しているのです。私の心も同じように休まず動き回っているはずです。ところが、時々、本当に時々です、自分の心が白紙になってしまったように感じることがあるんです。白紙になりたいではなく(願望ではなく)、なってしまうのです(結果としてです)。子どもの頃からあったようです。思春期あたりで少しずつ意識できるようになって今に至っています。

その状態にいる時はその時まででいたことが、突然できなくなってしまいます。ほとんど一瞬のことなのであまり不自由に思ったことはありません。

イメージとしてしか伝えられないのですが、あえて言えばぼんやりの延長です。不思議なのはその時は諸々の価値が消えてしまうということです。ここで価値というのは一般的な価値のことです。世界に共通の価値です。その価値が支配する世界の住人ではなくなってしまうのです。もしこれが続いたらと考えるとゾッとします。非常に危険です。価値の喪失症候群という言い方があるのかどうかしれませんが、価値を判断できないのでは人間と呼んでいいのかどうか定かではありません。その瞬間私は人間でなくなったと感じることがあります。

幸い私の場合は極めて短い時間です。普段の生活の中でぼんやりすることがありますが、それによく似ています。ボーとしている以上のボーです。白紙というのはボーとしている状態が危ないくらいに煮詰まった感じです。

自分ではまた来たと言う感じだけです。それは津波のようにくるのです。そして一瞬にして価値喪失が起こるのです。

この状態、誤解を覚悟で言うと案外気持ちのいい状態で、よく言えばリラックスしているとも言えるかもしれません。本当に好きなことに没頭しているときにも似ています。好きな音楽に自分が溶けてしまったようなのも似ています。

そこから返ってくる時がまたスリルがあるのです。一瞬真っ白なキャンバスの前に立っているようなもので、全てが新しく始まるように感じます。真っ白と感じるのは返ってくる時で、価値が消える津波は貧血のようなものでくらっとするだけです。

価値が消えて再び戻ってくる時ですが、それは瞬時に起こるのですが、再び戻ってくると言う感じと、全く新しい世界にゆくのだという両方の意識が一緒くたに混ざっています。白紙状態と言ってきましたが実は白痴状態です。

人間ってこうして生まれてくるのかと勝手に想像しています。小さい時のことは覚えていませんからあくまで想像です。

価値の喪失について最後に触れておきます。

色々な価値にどうしても付き纏っている日常からの利害と言う厄介なものがその真っ白になった状態のあとでは和らいでいるのです。昔の価値観が戻ってくる訳ですが、そこから利害関係が抜けるような感じです。

利害関係というのはどうしようもないもので、英語のinterestは関心、興味があるという意味で使われますが、元々は利害関係を示す言葉ですから、私たちは根深く利害関係から関心事を見つけ出して生きているということかもしれません。その利害関係を少しだけ開放してくれるのが真っ白状態なので、私はとても有難いものだと思っています。純粋価値ということを考えることもあります。

 

これからもこの白紙状態(白痴状態)、詳しく観察していこうと思います。

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