声のこと その一

2012年9月1日

 

今はまだ声のことがよくわかっていません。

私だけでなく、社会がまだ声のことにまで手が回っていないのです。

他にしなければならないことがあるようです。

 

もし声のことがもっとわかってきたら、声のことをもっと評価するでしょう。

声占いを職業とする人がでて来るかもしれません。

「あなたの前世はお姫さまでしたよ。今生は苦労する人生が待っていますね。それでも幸せな結婚をなされますよ、子どもは五人です、結婚相手は財産家です。老後はご主人が亡くなってから幸せになります」なんてまともしやかに言える様になるかもしれません。

 

占いだ、前世だということは別として、声には、声の持ち主の「人となり」が実に沢山聞こえています。今目の前にいる人のことは、姿を見ているより、声を聞いている方が、深いところが解ります。

戦争の時盲目の人が声を聞いて、それだけでスパイを暴きだした話しがあります。

 

ロシアでは「あんたはいい声だから司祭になりなさい」と言うそうです。

先ほどの占いではないですが、その位いい声だから前世では立派なことをされたのでしよう。きっと豊かな人生経験があるでしょうから、その経験を生かして今生では人助けができますよ、ということかもしれません。

 

いい声には心を和ませるものがあります。いい声でお説教をされたらつい聞いてしまいます。うっとりと聞きいってしまいます。その声の中に自分が溶けてしまいそうです。その時聞いているのは声です。たぶん話しの内容なんかはどうでもよくなってしまいます。

つまらない話しもいい話しの様に聞こえるのです。

 

知り合いの女性が「夫は声で選びました」と、声のワークショップの後に話してくれました。逆に、それまで付き合った男性とは声に飽きて別れたということです。

お見合いの時には先ずはお面をして、しっかり声を聞いてそれからイケメンかどうかを見ればいいということでしょう。

 

姿はポーズです。見せかけの様なところがあります。メッキです。いつかはがれます。

姿は形です。目がものを見る時、特に形を認識する時、形としてみることはありません。その形の輪郭を目の筋肉がなぞることで形を見ます。形は動きから見えて来るものなのです。

 

声のことに戻りましょう。

声ってなんですか。よく聞かれます。特に、日本的俳句文化の一端なのでしょうか、一言で言うとなんですかと聞いてきます。

こんな大変なことを一言で言えるはずがありません。

徳川家康の一生は一言で言うとなんですかと山岡荘八の小説を読んだ人に聞く様なものです。

 

こちらは意地で答えます。

「声とは立っている動きです」

ああ言えばこう言うです。それを百も承知で言っています。難しいことを一言で言うとこうなってしまうのです。聞いた方が悪いのです。しかしウソは言っていません。真実中の真実を凝縮して言っただけです。

 

声の中に動きが聞こえる様になると、声のことが解ってきたと言えます。

声が響きとして聞こえているうちは、声に誤魔化されてしまいます。その程度では声で伴侶を見つけることはできません。詐欺師の声も見抜けないです。もちろんスパイもです。

 

型というのが日本の伝統を支えています。

型をしっかり身につけるためには何度も繰り返し練習しなければなりません。その練習はよく見ると動きを極めて行くことだと解ります。動きが静かになればなるほど動きはきれいで、そこから型が生まれます。

型というのは、動きが極まったものです。静止した動きです。

 

声とはすでに言いましたが「立っている動きです」。

静止した動きの極めつき、それは立つことです。立っている姿が最高の動きということです。

人間は二本の足で立ちます。立っているというのは本当に凄いことなのです。

舞台の世界では、立っているだけで芝居になる人が本物で、舞台の上を走りまわっているのは「駆けだし」です。

 

体の動きは外に見えるものです。しかしその動きは極まると止まっている様に見えます。静止している様にです。そこから静けさが生まれます。いい声というのは、よく耳を傾けて聞いてみてください。静かな声です。

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