初夢あるいは元旦の計
一年の計は元旦にありと言い、初夢がそれに加わわって、お正月は師走に負けず結構忙しい時期のようです。
私は夢を見ないので、というのか覚えていないので、今年に入って今日までお話しできる夢が一つもなく、これ以上待ってはもう初夢とは言えないものになってしまうので、今年は初夢談議は諦め、一年の計は元旦にありの方の話をします。
我が家ではそんなことは言われた覚えがありません。結構大きくなって、小学校の高学年の時だと思います、学校で担任の先生がお正月休み明けに一人一人に元旦の計を聞いて回ったことがありました。自分の番が回ってくるのが辛くて、でも正直にそんなのありませんとは言えないので、どうしようと困った顔をしていたのを、先生に見破られた覚えがあります。その時は「ない人はないでいいですよ」とやんわりと躱わしてもらってほっとした記憶があります。
今年はどんな計を立てたかというと、今年からインターネットを通しての講演が増えるかもしれないので、聴衆なしの話し方を見つけることでした。
普段の講演会ではテーマはいただいてありますが、そのために資料調べるとか、専門書に当たるとか言った特別の準備はしません。大事なのはその場にあった話をすることです。そのためには、その場に立たない限り分からないのです。もう何度もやっている会場でもその日来る人は前回と違うので、毎回まずは雰囲気作りをして(落語でいう枕のようなものです)、そこでできた空気を読んで雰囲気に合わせるわけです。
ネットでコンピュターに向かって話すというのは、最近はスカイプで映像付きで話す機会が多いので、全く新しいということではないのですが、二時間を、一方通行で、しかも一つのテーマで話すというのはやはりなんらかの覚悟が必要になってきます。その「なんらか」がうまく掴めないと二時間がだらだらしたものにしてしまいます。どういう集中力で二時間を持たせるられるのかが今の課題で、そのための「いい準備ができますように」が元旦の計と言えばそれに当たります。
私の講演を「一筆書きのようですね」と言われたことが何度かあります。立て板に水のように話すともよく言われたのですが、一筆書きの例えには私自身「はっ」と驚かされるものがありました。もちろん話をする側として思い当たるものがないわけではないのですが、二時間を「一筆で話し上げていた」と言われるのは嬉しいものでした。ネット講演でその一筆書き、いや一筆話しが実現できればいいと願う次第です。ところがそのためにはどうしても暖かな聴衆が必要です。講演というのは一方通行のように見えますが実は聴衆からの力添えがあって成立しているものだからです。
講演会場は所変われば品変わるで色々ですが、まだ眠っている空間に立って話始めます。話すことで空間に変化が生まれるのです。ただの空間が時間のある空間に変わって行きます。話を聞いているうちにどこにいるのかを忘れるということです。私は空間が時間に溶けてしまうと感じています。聴衆だけではなく、私自身もその中に入っています。「一筆書き」というのは、この空間が時間に溶けたことの別の表現のような気がします。この変化は将棋で相手陣地に入った時に王様と金以外の駒は「なる」というシステムに従ってパワーアップできるのに似ています。実際には駒を裏返しにするだけですが、「なる」ことで働きはパワーアップするのです。講演会の体験が空間的なものから時間的なものに変わったというのは「なる」と同じようなもので、パワーアップしていると言えるのかもしれません。何がパワーアップしたのかというと、みんなです。聞いている方、会場そして私です。聞いている方が、話以上のものを体験しているということかもしれません。私が初めに考えていた話し以上のことが話せたということかもしれません。そして会場が始まった時と形は同じでも、中身の違う空間になっていることです。