ライアーのこと その一

2021年1月20日

自らがライアーを弾いていて、この楽器の将来を疎んじるというのは不謹慎かもしれないですが、色々と心配になることがあります。

この楽器は作られてから高々百年に満たない、若いというか幼い楽器です。それなのに将来を案じるなんて、返す返す不謹慎です。

そもそも今日ライアーはあまり知られた楽器ではありません。強いて知られていると言えば治療に使われる楽器というイメージで知っている人がいる程度です。実際障害者の施設で盛んに使われ、そこで広まったもので、とても真面目な楽器という印象があります。

こういう状況ですから、この楽器が得意とする音楽は未だ生まれていないと言えます。ライアーのために作曲されたものがないわけではないのですが、私の耳には特にライアーの特徴が浮き彫りにされているとは言い難いものです。私自身いわゆるライアーのために作られたというものはほとんど弾いてきませんでした。CD制作の時にも録音はバロック音楽から現代物までの作品から選曲して、未熟ながら自分で編曲をしました。先人の胸を借りたということでしょうか。

 

この楽器のオリジナル性とはどんなものなのでしょう。この楽器の特徴は残響だと思います。開放弦なので、一音一音がピアノのペダルを踏んだようなもので一度弾いたら指で消さない限り鳴り続けます。つまり残響が非常に長いのです。

これは見方によれば優れた長所ですが、大きな短所でもあります。音楽を演奏するということになると残響は扱いが難しいわけです。テンポの速い曲はは向きません。ということでかなり制約があるこの楽器の発展のためにぜひこの楽器の特徴が生かされた曲が出来ればと願っています。今のところこの楽器のための曲がないというのは致命的です。

もう一つこの楽器が一般に普及しない理由として、この楽器に付き纏っている、神経質さとか真面目すぎるという側面があると思います。これは楽器に原因しているのか、それとも演奏する人によるのか定かではありませんが、とにかく真面目すぎるので、もっと気軽にこの楽器に触れるような雰囲気が欲しいと願っています。そこに楽器が高価だということがこの楽器に近寄り難いということを助長しているわけですから、廉価ライアーが望まれているのかもしれません。ギターが数万だせばそこそこの楽器が手に入るような状況を夢見ています。

 

音楽治療というジャンルは特定の楽器を指定しているわけではありませんが、ライアーはなんとなくそこに入れ込まれてしまって不自由しているのかもしれません。治療するというイメージはこの楽器の可能性を狭めていると思います。

遊び心でこの楽器に近づいて欲しいものです。ふざけるのではなく、優雅な遊び心です、心を開放するのです。日本的に「たまにはお遊びにいらしてください」というスタンスの遊びです。

 

ライアーの大きな特徴について一つ述べておきたいと思います。この楽器は、いわゆるグリッサンドのように「ぽろぽろ~ん」と弦を気ままに撫でる時にすごくインパクトがあるのです。ギターやハープの比ではありません。弦の残音が混ざり合いながら独特の世界作ります。これを聞いた人が、その場で「この楽器を欲しい」と思い、お財布に余裕のある人は「私この楽器を買います」とその場で買ってしまうということが起こるのです。他の楽器でこのようなことは見たことがありません。自分で試し弾きをしてから買うのが普通なので、ライアーの「ドタキャン」ならぬ、「ドタ買い」には目を見張ってしまいました。ということはライアーという楽器は、音楽をする楽器として買うのではなく、弦の響きを楽しむための楽器というくくりになるようです。

ここがライアーの抱えている悩みです。

響きの綺麗な楽器から、音楽をする楽器に、「音」を表現できる楽器に成長して欲しいのです。

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