言語化すること。ハマーショルドのこと。

2021年2月4日

私の孫たちは(一歳半から二歳十ヶ月)このところ言葉に夢中で、教えられたりしているわけではないのに言葉がどんどんできるようになってゆきます。そのスピードたるや驚くべもので、一週間も会わないと言葉の数はどんどん膨らんでいて、それに比例するかのように顔つきまで変わっているのでまるで別人のようです。途方もないエネルギーが働いているようです。想像を絶する量のエネルギーが費やされる、一生の中でも類のない大事業です。この自然に湧いてくるエネルギーのお陰で、孫たちはこの大事業を楽々とこなしています。

このエネルギーは言葉だけでなく、小さな子どもたちの体を柔軟でしなやかなものにする側から気もあります。あのプチプチした弾力のある肌はこのエネルギーから作られているのです。だからこそあの子たちは周囲で起こっていることを無限に吸収して、それを言葉に変えて行けるのです。

成人した人間はもうこのエネルギーが自然に湧いてくることはありません。今孫たちの中で起こっていることの半分も真似ができないと思います。いやそれ以下でしょう。しかしできないことはないのですが、エネルギーを精神力で補給しなければなりません。時々そういう人を見かけることがあります。そのための精神力は並大抵のものではないですから恐るべきこだわりを一つのことに集中している人か、相当な修行を積んだに違いありません。成人してから小さな子どもが持っているエネルギーを得るには精神を鍛えてエネルギーを補給するしかないのです。この精神力を生来持っている人が稀にですがいて、彼らを天才と呼びます。天才たちは小さな子どもたちの成長を支えているのと同じエネルギーを生涯持ち続けた人たちです。本来は小さな子どもの成長の段階に備わっているものですから、成人してそのエネルギーを持ち続けるとバランスを崩してしまいます。天才たちはそのエネルギーで創作活動などができるのですが、日常生活を送るのが難しいことは歴史上の天才たちをみると容易に察するることができます。

 

幼児にとって言葉の習得は成長と深く結びついたものです。彼らは言語することで成長力を刺激しているともいえます。以前に十一世紀にドイツの王様が孤児の子どもたちを集め、彼らに言葉を教えなかった話をしました。子どもたちはほとんどが3歳になる前に死んでしまったのです。言葉によって生命力が活性化されなかったからです。

成人した大人にもこれに似たことが起こっています。成人してそれなりの経験を積んだ時点で自分のしてきたことを言語化すると、その人は若返ります。生命力が活性化するからです。しかし整理するために言語化すると本末転倒になってしまいます。整理することが生命力を刺激するのではなく、言語化することが大事なのです。

 

最後に六十年代に国連の事務総長を務めたハマーショルドの話をします。彼は東西の鉄のカーテンの緊張の中を、国連の事務総長と言う過酷な役職に就いて生きた人でした。多くの人から大変に尊敬された人物でした。そんな中不慮の飛行機事故で亡くなります(よくある話です)。秘書に「私が死んだら開けていい」と言いつけた金庫がありました。ハマーショルドが死んだ知らせを受けた秘書は言われた通りに秘密の金庫を開けました。世界中はそこにハマーショルドしか知らない東西社会の政治的秘密が記されていると期待したのは当然です。ところが金庫から出てきたのは彼が生前書き続けた俳句でした。彼は大変な緊張の中で「私の十七文字よ飛んでおくれ」と俳句を綴り続けたのでした。一触即発の思っ苦しい社会状況の中で見つけた軽みでした。そうすることで心の平安を得ていたのです。

 

 

 

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