潜在意識と直感
意識というのは脳生理学的には説明できないのだそうです。脳生理学だけでなく、意識は瞬間にしか存在しな瞬間性のものだと思うので、説明はそのための手段ではないと思います。さらに潜在意識となればもっと遠いい所に行ってしまいそうです。意識の彼方ですから、意識でつまづいていては潜在意識のことなど口にできません。ただ意識も潜在意識は現実のものなので、現実の生活にも影響しているので、その実態を説明したくなるのでしょう。
量子物理学が意識の存在証明に一役買っています。物質の動きに人間の意識が関わっているということが実験で証明されるようなのです。そもそも私たちの物質的存在は量子からなるということになると、私たちに、私たちの意識が働きかけることで、変化させることができる、ということになります。働き、影響ということに関していえば、論理的に説明がついたような感じです。
潜在意識は20世紀初頭のユングの心理学から関心がたまり今に至っています。最近は潜在意識の開発が一つの流行現象のようになっています。潜在意識を使って人生を向上させるのいうセミナーも随分見受けます(受講料は大抵破格のお値段です)。実際にそれで成功した例があることは耳にします。大基本は「思えば叶う」ということのようです。私たちが常日頃思っていることをただ思っているというレベルから一つアップして目標を具体的にするのだそうです。潜在意識は現実ですからそこから力をもらうことができるようになるわけです。
そこで気になるのは、潜在意識を利益の目的のために使おうとしていることです。非常に合理的なやり方と言えるかもしれません。しかしビジネスで成功するための秘訣を潜在と結びつけるのですから、潜在意識も随分迷惑しているのではないかというふうな気がしてならないのです。潜在意識はもっと大きな私たちを包み頃ような力を送ってくれているように思えてならないのです。
そもそも顕在意識と潜在意識とは仏教で言われていたものですが、東洋の潜在意識は分からないままにしておいたのではないかという感じがします。分からないということも理解だからという観点でしょうか。それと、顕在意識の中には潜在意識は含まれていると考えたのではないかと思います。例えば私たちの今生は、前世からの集まりですから、今生をみる目を持てば前世といテーマは必要ないかもしれないというのに似ているかもしれません。過去に拘るから前世が気になるのでしょう。未来、将来、来生と言ったものを考えたらどうかと思います。
野球のイチロー選手が若い時に、毎日200球ボールを投げる練習風景を見たことがあります。そこで言っていたのは、ムキになってなげないこと、なんとなく、何も考えずにぼんやりとということでした。その時の方が体全体で投げているということでした。インタヴューの人に、「こうして人と話をしながら投げるのなんか悪くないですよ」と言っていました。一番いけないのは「練習だ、一生懸命投げなきゃ」と頑張ることのようです。イチロー選手によれば、ムキになれば肩を壊してしまうのだとか。
私は潜在意識の活用は別として、潜在意識とコミュニケーションをとることは有意義だと思います。研究よりもお話をするのです。知的に整理するのではなく話しかけるのです。私たちの意志が活性化するからです。私たちの心の中の意志と言っているものは、別の言葉で潜在意識なのかもしれません。
意志に働きかけると心も体も暖かくなります。暖かくなればしなやかになります。しなやかな中で直感が冴えてきます。潜在意識と直感は元は一つの二つの現れのような気がします。