思考力の退化

2012年9月10日

これからだんだんと考えられなくなる時代に入ります。

脅かす訳ではありませんがそうなんです。

これからと言っていますが、実はもう相当進んでいます。

 

なにを馬鹿なことをと思われるかもしれません。

考えるということを泳ぐことに譬えてみます。

そうするとすこしはわかっていただけるかもしれません。

 

クロールを例にとります。

クロールで泳ぐときに腕だけで泳いだらどうなるでしょう。

クロールは足でバタ足をしながら体全体は左右にバランスを取りながら、しかも呼吸を上手く取りながら泳ぐものです。

そうすると疲れないうえ、スピードも出ます。傍から見てもとてもきれいです。

これがクロールです。

 

ところが腕しか使わなくなってしまったらもうクロールとは呼べません。

その泳ぎは傍から見てもとても不自然です。

腕だけを必要以上にかき回すので、疲れます。しかも効率は悪く、あまり前に進みません。

体全体で泳ぐというのとは全然違うものです

ところが本人はクロールで泳いでいると思っているのです。

 

現代人の思考もよく似ていて、本当は心全体を使って考えていると思っています。

もし本当にそうならバランスの取れた楽なものなのに、実際は違います。

頭だけを使って、ただがむしゃらに考えているのです。

これでは考えているとは言っても大したことは考えられないのです。

腕だけで泳ぐクロールが前に進まないのと同じです。

 

頭だけで考えても実は結論は出ないのです。いや出せないのです。

訴訟、喧嘩が片づくには今では法律があって、弁護士がついて、それで問題が解決します。

 いや解決したことになります。

実際はえせ解決です。

 

しかし二人の間で問題があった時、解決にには、そこで話し合いが行われるのが基本です。

個人と個人のレベルで話し合いをするわけです。そして解決にもって行きます。お互いに納得が行くようにです。

勿論時間がかかります。

 

個人同士の話し合いには、個人の考える力が必要です。

二人がお互いを理解するには、考える力が必要です。

ところが弁護士が間に入って、法律が問題解決の手段になってしまうと、個人個人はなにも考えなくなってしまいます。

個人個人がお互いに相手のことを考えることのない喧嘩です。

 

これは死んだ喧嘩です。全く心の通っていない喧嘩です。

表面的には問題が解決したということになります。しかし法律という道具を弁護士が使っただけなのです。

これは死んだ解決です。

その延長に死んだ社会が出来あがります。

 

解決には話し合いが必要なのです。

法的精神の基本は法律を作ることではなく、話し合いなのです。

人間とはそもそも話し合う力を持っていたのです。

今はそれが無くなってしまいました。

相手を頭で理解するというのは、相手をただコメントしているだけです。しかも自分の都合でです。

 

現代社会は人間同士が、個人と個人で話し合わない社会です。

話し合えないのです。これは実は悲劇です。

相手が理解できないのです。そのための能力が無いのです。

それに必要な思考力がもう無いからです。

 

現代人は自分の考える力を自分の都合のためにだけ使えるようになってしまったことも事実です。エゴです。

これは思考力本来の退化です。エゴ的人間の思考力は低下しているのです。

先ほどの、クロールを腕をかき回すだけで泳ぐようなものです。

本人は泳いだ積りでいますが・・

 

相手を理解することなく社会で生きているのです。

今はそれが普通になってしまっていますが、もし事実を鳥瞰できれば、現代社会の喧嘩は人間と人間、個人と個人、心と心とが出会わず、法律だけで喧嘩している死んだ社会が見えるはずです。

 

思考力をこれ以上に退化させないためには、どうしたらいいのでしよう。

個人と個人が心で出会える様にすることです。心と心が出会うということです。それで初めて相手を理解できるからです。

これが生きた思考です。体全体でおよくクロールの様なものです。

 

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