「リロ」は本当は「リーゼロッテ」です。
リロと厚かましくも呼ばせていただいた女性が、ひと月前96歳でなくなり、一昨日のお葬式に参列しました。「リーゼロッテ」が正式名です。私の人生にとってかけがえのない人でした。彼女への思いを書かせていただきます。
コロナだけでなく、寒波による風邪の流行、雪に閉ざされたドイツと散々な状況の中のひっそりとしたお葬式でした。
リロは私の家内の両親と若い時から親交があり、義父が中心になって70年前から毎月一回メンバーの家で持ち回りでやっていた、二十人からなる小さなコーラスの最初からのメンバーでした。小さな時から歌には特別の思い入れがあったリロは、小学校、中学校、高校、大学時代、社会人になってからもずっと歌い続けました。
仕事は会計事務所の代表者として、自分の会計事務所を切り盛りしていました。たくさんの農家の経理を見てあげていたと言うことです。「手数料は少なかったけどね」と悪戯っぽく話してくれたことがありました。そのほかに様々な会の代表、顧問を歴任したキャリアウーマンの走りでもあったのです。家族には恵まれなかった彼女です。戦後のドイツは戦争に駆り出された男たちが外国に捕虜として残留していたため、当時のドイツ国内の女性と男性の比率は極端に女性に不利な状況でした。
リロは一人で生きてきました。ところが彼女の周りにはいつもたくさんの人がいて、みんな「リロ、リロ」と呼んで親しげに話しかけるので、彼女の予定表は、もう三十年以上リタイヤーしているにもかかわらず、びっしりで、向こう二週間の予約を取るのが難しいほどでした。
リロには14歳年下の妹がいます。「妹は若い頃にドイツ赤軍で政治活動して、刑務所入りになってね、大変だった。大変だったのは実は周囲の人たちの方だと思っているよ。それまで友人だった人が批判的な冷たい言葉を浴びせていたのが忍びなかったよ。政治犯である以前に妹だからね、全力で彼女をかばったよ」と嬉しそうに自信に満ちた話ぶりでした。この言葉は、初めて聞いた三十年前から片時も忘れることのない言葉です。「妹だからね」。二人は母親を亡くしていましたから、リロは妹の母親変わりでもあったのでそう言う言葉になったのでしょうが、姉妹の絆が生き生きと私の心を捉え、美しささえ感じていました。そう言い切ったリロのきっぱりとした気性は、戦時中の反ナチを貫いた姿勢にも現れています。
リロは96歳の生涯を雪に覆われた真っ白い日、立派に終えました。「何も悔いはないよ。やりたいこと、できることはやるようにしていたからね」。最後少しの間だけ、粗忽症と腰の痛みがひどくなった時もありましたが、大往生です。
あれもこれもと言う、ガツガツした無い物欲しがりのところは微塵もなく、足るを知るあっぱれな人生の幕を一人静かに閉じたのでした。葬儀でのお別れの言葉が輝いていました。昇天してゆくリロがとても美しかった。リロは96年の間一人で生きて一度も孤独ではなかった、リロはリロで完結した存在でありながら、いつもみんなの中に生きていた。リロ、ありがとう、そしてさようなら。