イスタンブールの音楽師たち カッワーリーの音楽

2012年9月15日

友人から突然イスラムの音楽を一緒に聞き行こうと誘われました。誘った当の本人も、トルコのイスタンブールからと言うことくらいしか解っていない様で、どうしようか迷ったのですが、話しを聞いていると、どうも力のある人たちの様で、めったにない機会ですから、急いで服を着替え、一緒に行くことにしました。

会場に近付くにつれて、イスラム教のしっかりした宗教音楽、カッワーリーが聞けるかもしれない、そんな期待が膨らんで行きました。トルコからの演奏グループは期待通り、カッワーリーの人たちでした。

 

カッワーリーはイスラム教の宗教音楽で、もっと正確に言うと、イスラム教の中の神秘主義、密教的な流れをくむスーフィズムの宗教儀式の時の音楽です。瞑想のための音楽と言ってもいいかもしれません。勿論その晩の演目も宗教的な内容のものでした。三十分程の曲で、途中で途切れることなく続いていましたから、一つの曲だと思います。歌い手が一人、他の三人は楽器で伴奏を受け持っていました。笛、ウッドゥ(リュートの原型と言われている楽器)そして膝の上に置いて弓で弾く楽器です。歌と伴奏の音楽と言ってしまえばそれまでのことですが、両者が補いながら、もつれながら、溶けあいながら一つになって進んで行くところは、しめ縄の様でした。

 

はじめはゆったりしたテンポで、おおらかに歌と伴奏が溶けあいます。アジア独特のもので、非常に東洋的なものを感じながら音楽を楽しんでいました。ところが音楽はいつの間にか佳境に入っていたのです。まるで潮が満ちて来る時の様に、気が付いたら音楽は盛り上がっていました。音楽はじわじわと緊張感を増して行きます。急ぐことなく淡々とです。歌声にすごい力で引き込まれてしまいます。声は楽器と違った次元の吸引力があります。声の生々しさを久しぶりに堪能しました。その歌声の中で祈りが最高潮に達した時のことでした、天と地とがつながったと言ってもいい様な、そんな空気が会場を包みました。イスラムの密教的な宗派、スーフィズムの人たちがこの音楽で神様を、神の愛を感じようとするのが理解できたような気がしました。

 

舞台の上の四人の音楽師たちは普通に言う職業音楽家たちとは一味違います。何がと聞かれても答えに窮してしまいますが、とても地味で、謙虚なことがよく解ります。一見普通の人と変わりない人たちです。ところが、何物にも動じない力強いものを持っている人たちでした。特に三十分歌い続けた歌い手は司祭の様な風貌を備えていました。彼らは普段は聖者廟と呼ばれる廟の後ろで演奏しています。

 

音楽は祈りです。そのことがカッワーリーの音楽を聞きながら私の心を一番深くとらえたものでした。音楽の原点に返った様でした。腹からの歌声、この中に私はぐいぐいと引き込まれてしまいました。歌い手の声の中を脈々と生きている祈りは正真正銘です。その誠実さがわたしの心を揺さぶります。イスラム教の祈りとは、単に形骸化した儀式として残っているだけではなく、今でも真に生きる力となって人々の心を支えているのだという声が聞こえて来ます。イスラム教の持つ一つの真実に触れた思いでした。

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