倫理のこと、エジソンのお母さんの英断。

2021年3月21日

私たちはどうしても、善玉悪玉で考えるパターンで考えてしまいます。こびりついた癖です。このパターンの中に閉じ込められてしまった二千年も経ったのです。

善玉悪玉的な考え方はある特定の思想を守るための力にはなります。自分たち以外を野蛮人と悪玉呼ばわりすればいいのですから。ところが、そんな低次の力は本当の意味で生きる力にはなっていないものです。

私たちは悲しいかな二千年もの間一つの思想の砦に閉じ込められていたと言えるのです。

 

善悪の彼岸に何があると予感した人もいるのでしょうが、そこには辿り着かなかったようです。そろそろそんな時代が来てもいいのようなのですが、まだでしょうか。私は善悪の彼岸にこそ私たちの人生を作る大きな力があると思っているのです。。

この善悪という発想によって人間は苦しめられ続けました。ただ反面教師的に、善悪で人を縛り付けて、それに反抗する力を育てたと言える部分もあるのかもしれませんが、無駄骨を負ったと言えるのではないかと思います。そろそろ終わりにしなければならないもののようです。

倫理のことを考えるのです。倫理というものはきっとこの善玉悪玉の囚われから解放されているものだと思います。もしかすると私たちを善悪の彼岸に導いてくれるものかもしれません。

私たちは、とかく、倫理というのは善悪の境界線だと考えてしまいます。ところが、実はそんな低次のものではないのです。善悪を超えたものがある。それが何なのかを考える力が倫理だと思います。あるいは方向を示してくれるつからです。つまり倫理はそれ自体は無色透明なものだということです。

 

後の発明王、トーマス・エジソンは小学校の時、ある日、先生から一通の手紙を渡されます。

少年は家に帰り預かった手紙を母親に渡します。すると母親は手紙を取り出し一読すると、今度は大きな声で「オタクのお子さんは優秀すぎて学校でお預かりできませんので、ご自宅で教育を施してください」と読んだのです。エジソン少年は次の日から学校へは行かず、伸び伸びと好き勝手なことをやりながら、自宅で勉強したということになっています。

さすが屈指の発明王は違うと思ったのですが、どうや事実は違っていたようです。

成人したある日偶然にエジソンがその手紙を見つけます。そして中身を読むのですが母親が読んだ文面は真っ赤な嘘だったのです。「オタクのお子さんは知能が低く学校の勉強についてゆけませんので、どうぞ自宅で好きなように教育ください」という内容だったのです。

その手紙を読んだ時エジソンがどんな顔をしたのかは知りませんが、エジソンはお母さんに感謝の気持ちでいっぱいだったことは想像するに難くない事です。エジソンがエジソンになったのはお母さんのおかげだったからです。

それにしてもお母さんの裁量には驚かされます。先生からの脅かしとも取れる態度にびくともせずに我が子を信じたのですから。親の子どもを信じる力は絶大だと言われていますが、それを目の当たりにするような話しです。

これは先ほどから話題にしている倫理の力のような気がするのです。お母さんの頭の中は真っ白になり、透明になって、そこにその状況に相応しい直感が降りてきたのでしょう。迷いがないのです。一瞬の出来事です。

今ならエジソンは支援学級にでも送られて、普通の人になっていたかもしれません。社会がシステムの中でうまく機能することに慣らされてしまった私たちには残念ながら他に選択肢がないようです。

 

今回のコロナ騒によって、そうした旧来のシステムにヒビが入ったような感じです。そのヒビをいち早く修復することに賢明になるのか、それはもう壊れるものとみなして、別の道を歩むのか、今は岐路に立たされているような気がします。人類に素晴らしい直感が降りてくることを祈ります。

 

コメントをどうぞ