成長が見えるとき

2021年3月23日

オンライン講演のテーマは大人の成長でした。このテーマは一回で語り尽くせるものでは無いので、その後も時たま心の中であの時の続きのようなことをやっていました。

他人様はよく見ていてくれるのですが、自分自身では心の成長は見えないものです。

 

支援学校の先生をされている方と話をしていて、ヒントになる話を伺ったので、その話しを書きます。

春の移動で先生の職場移動が新聞に出ていたのを見た青年が、昔お世話になった先生の名前をそこに見つけ、「あの時のお礼を言わなければ、それも今を逃したらいつ会えるかもしれない」と思い立ち、その先生を尋ねます。

当の先生は何のお礼に来たのかが初めは思い出せずにいたのですが、話をしているうちに思い当たることがあって、お互いに懐かしく当時を思い出せて楽しいひとときだったそうです。

その青年は、ある口喧しい先生から嫌味な小言を喰らうところを、その先生に庇ってもらったおかげで嫌な思いで挫折せずに済んだという、ある意味では他愛無いことなのですが、その青年にとっては忘れ難いことだったのです。

 

その青年の感謝の気持ちはどこからくるのだろうと、その話を聞きながら考えていました。そもそもその事件はもう十年も前のことなので、今更感謝するほどのことでは無いとも取れます。私は考えながら、その青年の感謝したいという気持ちは、彼の成長の中身そのもの、成長したことの証だと気が付いたのです。彼は、もちろん無意識の中でのことです、自分が成長した姿を先生に見せたかったのかもしれません。そして先生もそれに応えて、彼の成長した姿を感謝という形の中に見出していたのだと思います。人間はこんなふうにも出会っているのだと話を聞きながら私まで嬉しくなってしまいました。

心の成長は見えないものです。ある意味では見えなくていいのです。ところが、感謝と言う形で捉えられるものになることもあるのだと気付かされた、心温まる話です。

感謝を感じている時人間は成長しているのだといえそうです。

 

してもらって当たり前という姿勢で生きている人は、エゴの塊ですから、心の成長とは無縁の人です。エゴは自分の都合だけで生きていますから成長しないものなのです。

感謝というのは繊細なものなので、要注意です。形だけの中身のない露骨な感謝はいただけません。却って人を傷つけます。でも心のこもった感謝にはその人の心の成長がはっきり伺えるものです。感謝される方もですが、感謝する方も心の中はキラキラ輝いています。

感謝できる。それは成長した証なのです。

 

 

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