シュタイナーの原点
私の義兄は宮細工で、御神輿、仏壇といった、宗教儀式に使われるものを作っている職人さんです。
だからと言って義兄は宗教的な人かと言うと、むしろ反対かもしれないと私は思っています。
彼と話しをしていると、今まで接することがほとんどなかった世界ですから、いろいろな発見があり、時間を忘れてしまいます。
職人さんのわりにはよく喋ってくれますから、こちらもついつられていろいろと聞いてしまいます。
興味深い話しは尽きないのですが、その一つに父親でもある師匠から「型紙を作るな」という話しがあります。師匠にそう言われて、義兄は注文があると、そのたびに図面をひいています。小さなものから、御神輿の様な大きなものまで、そのたびに図面をひいて、作業に入ります。
型紙を作ると、仕事がマンネリマンネリ化してしまうことが一番の原因の様です。そうなってしまうと、成長と発展が無くなってしまいます。
職人さんの仕事というのは、傍で見ていて感じるのは、正真正銘のインスピレーションの世界だと言うことです。
仕事を覚えるまでは何度も何度も同じことを繰り返します。その繰り返しの中から手が仕事を覚えて行きます。そこまでが大変な道のりです。これを修行と呼ぶのです。
職人さんは覚えた仕事を繰り返します。同じことを何度も何度も繰り返すのですが、決して同じことをしているわけではない、そこが味噌です。
ただ先ほどの型紙を作ってしまうと、ある種のマンネリ化が入り込んできます。そこには想像力、インスピレーションが働かなくなるとても悪い要素が隠されています。
義兄のそうした仕事ぶりを見ていて、自分がやっているシュタイナーという世界にも、型紙現象という危ないものがある様な気がしたのです。
シュタイナー自身は、「わたしが言っていることを料理の本を読むように理解しないでほしい」と言います。まさに型紙的に理解しないでほしいと言っているわけです。
シュタイナーの言っていることを常にインスピレーションでもって理解する、きっとこれが彼が望んでいたことなのかもしれません。
インスピレーションというのは、自分で好き勝手にイデーの世界、霊界から降ろしてこられるものではありません。なかなか難しいものです。こちらとしては職人さんの様に何度も何度も彼の本を読んで、もうすっかり理解したと言えるくらいにならないといけないのですが、それでも丸暗記はご法度です。
いつも新鮮に出会えると言うことが望ましいのだと思っています。
そのためにはインスピレーションを磨くしかないのです。
インスピレーションは仕事という場で鍛えられるものなのです。
そしてインスピレーションの中で自分に出会える様な気がします。