哲学、ものづくり、遊び - 河合寛次郎

2012年9月22日

古代ギリシャは西洋の哲学の入り口で、そこから哲学することが始まります。哲学に縁のない人に言うのですが、哲学するってどういうことかというと、自分のことを考えると言うことです。「汝自身を知れ」というのが哲学のモットーです。

 

質問                     哲学したら人生は豊かになるのですか。

答え                     なると思います

次の質問              哲学しなかったら豊かにならないのですか

次の答え              やっぱり豊かになると思います。

 

考え様によっては、哲学なんかしなくてもいいと言うことになりますし、哲学に縁のない多くの人は、時間を無駄にしている、せっかくの時間がもったいないと考えているかもしれません。それに、哲学は自分を豊かにしてくれますとはいっても、人間生活は一人自分だけが豊かになってもしょうがないです。社会が豊かにならなければ。

こう言うと、哲学者の中から、「社会哲学というのもあります」、と反論してくると思います。

 

反論                                     社会を哲学して社会を豊かにするのです。

その反論への反論               それで社会は豊かになるのですか。

 

哲学者たちは社会哲学で社会が豊かになると思っていますが、確証はないです。

私は時々、余計なおせっかいとは知りつつ、哲学はこれからどこへ行くのかと考えることがあります。哲学は最後に哲学自身を哲学するようになると思います。そして消滅するかもしれないなんて恐ろしいことを考えるのです。

何故そんなことを考えるのかと言うと、哲学には堂々巡りがあるからです。答が無いのが哲学だからです。考えることが楽しいのです。考える遊びです。

 

消滅というと、否定的な感じがありますが、消滅とはいってもただ消えてしまうのではなく、何かに変わって行く、変容するのでしょう。それは、楽しみなのですが、ただ今はまだそこのところがよく解りません。

 

哲学が終わったら、きっとまたものを作る時代が来る様な気がします。

物作り、クラフトというのは、今はまだ暇つぶしのためのものの様に考えられていますが、ここには深い真実が生きています。人間が本気でものを作っている時って神聖です。

河合寛次郎の様に、「自分に出会いたい、仕事する」という時代がきっともうすぐそこまで来ているのです。仕事すること自体が遊びと感じられる様になったら・・

なんだかすごいものを感じます。

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