ハイドンが聞いた音霊(おとだま)
ハイドンのヴァイオリン協奏曲一番ハ長長の第二楽章は既に紹介したことがあります。私がよく聴く音楽です。特に心を落ち着けたいときにを聞きます。シンプルな波のような音の動きに気持ちを乗せていると、嫌なこともいつしか消えてしまうのです。
この曲の圧巻は単純な音階にあります。ドレミファソラシドで始まってドレミファソラシドで終わります。こんなシンプルなことがどういう発想から生まれたのでしょう。こんなことが音楽の中で起こってしまったんだと、驚いています。ハイドンがなし得た正真正銘の驚異です、驚異としか言えません。誰もが知っているドレミファソラシドです。西洋音楽の基礎の中の基礎です。これを一つの作品のモチーフにしてしまうのです。この恐るべきシンプルさがハイドンです。ハイドンを聴く醍醐味はこのシンプルさに尽きます。
ドレミファソラシドを聴いていると心の澱みが沈澱してゆきます。西洋音楽がたどり着いた音階には透明感があったのです。ハイドンにこのことを教えてもらいました。無駄を拭い去ってできたという印象を持ちます。ある意味では透明であるが故に冷たさも否めないのですが、ハイドンには暖かさと温もりがあります。
ドレミファソラシドを聴いていると、とは言ってもドレミファソラシドだけを聴くことというのはほとんどないので、正直言うとこの曲で初めてしみじみとドレミファソラシドを聴いた訳ですが、私の心の中に蟠っているものが洗い流されているのです。心が洗われるというのはこういうことを言うのでしょう。音楽の持つ力に改めて感動します。
ドレミファソラシドは音楽の音霊(おとだま)が重なり合ったものだと思います。別々の音が一つ一つ連なっているのです。その一つ一つは自らの命を持って聞き手の心に入り込んできます。それぞれの音には命がある、つまり音霊があって、それが音楽を作るのです。
この単純なことに気付かされたのです。それがとても嬉しいのです。