高尚な話ではなくいつもの話から始めます。
せっかくの機会なので、高尚な話を一つ書いてみようと、知恵を絞ってみましたが、無駄な抵抗でした。
原因の一つは、知恵不足、教養不足ですが、ドイツに長年住んだことも原因のようです。というのはドイツ人は高尚な話、わたし的には高尚っぽい話が大好きだからです。基本的には優等生を称賛する国ですから、想像していただけると思います。
ドイツの政治がとりあえずはうまくいっているようにメディアは報告していて、日本はそれを真に受けていますが、メルケルさんという首相はメディアが作った首相ですから、メディアが悪口をいうわけがないのです。
先日もラジオ番組で、メディアから悪口を言われない首相として群を抜いていることをとても好意的に報告していましたが、聞いていて白々しくなんとなく滑稽でした。
ドナルド・トランプ氏は全く反対で、大統領になる前も、大統領の職務にあった時も、大統領後もメディアから悪口しか言われない人です。そのためほとんどの人が彼のことを極悪人だと思わされているのも滑稽です。
日本のメディアも優等生と極悪人を捏造しているので、信じるにには足りないです。
本当のことを報告する情熱はもう人間にはなくなってしまったかのようです。わたしが気になるのは、語り口がみんな正当性があって、高尚で、非のつけようがないほど巧みだということです。頭のいい人たちが知恵を絞って書いたものは、人を信じ込ませる術に長けています。しかし大人たちが高尚な話ばかりしている環境の次の世代はたいてい問題児です。その問題児たちは、大きな目でみれば逆に全く正常なのだと気付いてみると、なんとも滑稽な縮図です。
わたしのブログではこれからも高尚な話は出てきません。これを読んだ次の世代も問題児にはならないと思います。わたし自身がすでに問題児だから大丈夫でしょう。道端にそっと咲いている、忘れられてしまっている名も無い草のことをこれからも書いてゆくつもりです。
「アルプスの少女ハイジ」は世界に牧歌的スイスのイメージを植え付けた功績のある本です。当時は世界で聖書の次に他の言葉に翻訳された本でした。今はとっくに他の本に追い越されています。
この本の作者は信仰深い家庭に育ち、弁護士を夫にするという運命を生きました。弁護士という嘘と駆け引きの渦巻く世界には馴染めず、ついにはうつ病になってしまいます。そこで療養生活をしているときに自分を励ますために書いたのが「アルプスの少女ハイジ」でした。彼女のギリギリのところに追い込まれた命を救うために生まれた本とも言えるかもしれません。
もちろん本というのは出版されると独り歩きを始めます。さまざまな批評が名作として評価し、ついには自然に恵まれたアルプスの国スイスを世界に紹介する大文学になるのです。これを今でもスイス政府は大切にしていますから、農業、酪農では生活できないスイスの農民たちを表向き農業国のように見せるため、彼らに多大な補助金を用意しているのです。銀行の国スイス、不思議なお金の集まる国スイスを宣伝するよりはずっと観光客を呼ぶ力になるのです。
大文学は高尚なのでしょうか。高尚というのは、ただそういうことにされてしまったものなのかもしれないと考えています。人間の周りにある落とし穴の一つのようです。
最近のドイツの国道の道端はとても綺麗です。野の草の種が市町村の環境整備の指導のもとに蒔かれ、春先から夏にかけて野の草が咲き乱れるのです。目に優しい自然らしさを演出しています。場所によっては不自然なほど自然らしいもちょっとやり過ぎかもしれないと思ったりしています。