芸の道は長し

2021年5月13日

芸とはなんなのだろう。

わたしは「自分を消す手段」ではないかと思っています。

 

もし人間が今日も森羅万象の力と共にあるなら、自分という発想が生まれる余地はないでしょう。なぜならそこで人間は満たされているからです。森羅万象の中に溶け込んでしまっているかのようです。

 

今の人間たちは、森羅万象から離れてしまいました。追い出されたかのように見えます。誰がしたのかは解りません。

そして自分という満たされることのない姿に変えられてしまったのです。森羅万象を離れた人間たちはそのためだんだん自分を持て余すようになります。

 

特に現代は満たされると言う観点からすると、ものに溢れていても、満たされることがない貧しい時代です。いくら物があっても人間は満たされていません。ガツガツ他人のものをひったくろうとしています。誰が望んでいるのでしょう。

 

自分のものにする。自分のものにしたい。ここが「自分」の始まりかもしれないと考えます。自分と言うのは、実は厄介なもので、自分であればあるほど貧しい存在になってしまうのです。

 

人間は森羅万象の中にいた時の思い出を芸と呼んで嗜むようになります。踊り、歌い、楽器を奏でて、持て余した自分を消そうとしたのです。芸に励んでもなかなか自分を消すことはできません。しかし森羅万象を離れた人間が自分を消すことができるのは、芸の中に没頭する時しかないのです。

そんな時、人間は「芸の道は長い」と感じ、自分を消すことの難しさを嘆くのです。

 

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