好きになると存在が喜びます
好きになると言うのは不思議な世界です。人を好きになるのは勿論その最先端です。どうしてある人が好きになるのか、これだけは科学がどんなに進んでも説明がつかない世界のままではないかと思います。
ところが嫌いというのはきっぱりとしています。嫌いになったらすぐに離れてしまいます。距離を置くのでそうなります。
嫌いはいつも距離ができます。人にしても、食べ物にしても、色にしても同じ様に距離を置きます。
そしてなぜ嫌いなのかはなんとなく説明がつくのです。
好きと嫌いがコンビになっているのが人間の心ですから、嫌いと同じ様に好きのことが解っていいのでしょうがどうも違うようです。
何故好きはわからないのでしょう。
嫌いが距離を取ると反対に、好きになったときは距離がありません。それに引っ張られてしまいますから距離が無くなってしまうのです。シェークスピアが言う恋は盲目はこの状態です。盲目ですから、見えないのです。
人間はその距離のない状態も必要なのです。相手と、あるいは好きなものと一つになっているからです。一番居心地がいい状態です。一つになってその中に居れば、周囲の世界は見えないですから。好きになったらそのものにどんどん入り込んでゆきます。それは恐ろしい程のものです。興味がある、それをしなければならないなんていうのは比べ物にならないのです。その勢いが人間を幸せにします。
批判が主流の時代は好きになると言うのが幼稚に見えるところがあります。
批判している方が賢そうですから、そちらに向かうのでしょうか。
好きは言葉が無くなってしまいます。理屈もないです。思考的ではないからです。
思考的に、本当に好きになると言うのはできないと思います。思考はいつも何かを整理していますからその時は打算的です。
好きになったらなんとでも一つになれます。宇宙とも一つになれるのです。
どうですか、好きという世界を謳歌してみませんか。
生きていることがすこし膨らむ様な気がします。