繰り返す力、あるいは一回きりの体験の醍醐味。

2021年7月21日

繰り返しことを教育者がいうと説教臭くなりますが、繰り返すということ自体、私たちは案外楽しんでいるように思うのです。

同じ本を何回も読む人がいます。二回目が一回目より新鮮だったという経験は私だけでしょうか。内容的には、とりあえずは知っているのですが、説明できないですが、どこかに知らないという感触があります

同じ映画を何回も見る人がいます。テレビでは再放送というのもあります。再再放送も、再再再放送もあったりしますから、繰り返すという習性は意外根強く私たちの生活に結びついたもののようです。

繰り返すことの醍醐味とは別に一回きりという緊張感も取り上げたいと思います。

今日では有名な音楽家の音楽会に一度ならず、二度、三度と接する機会は珍しくありません。その演奏家の録音もありますから何度も聞けますが、百年ほどを遡ると世界の状況は今とは全く違うものだったのです。レコードが始まった時期で、まだまだ普及しているとは言い難い時代でした。一生に一回しか聴けない音楽家の演奏というのがあったのです。田舎の小さな街での話ではなく、都会でも一回きりということは珍しいことではなかったのです。一回しか聞けない演奏会に行く時の緊張感は、今の人がレコードや動画で知っている演奏家のコンサートに向かう時のものとは違っていたに違いありません。

ということで、私たちは繰り返しの醍醐味と一回きりが持つ醍醐味の間を生きていると言えます。

話を少し別の方に向けます。

輪廻転生と一回きりの人生とをどのように折り合わせたらいいのでしょうか。今生が良くないのは前世での頑張りが足りなかったからだとか、今生はダメだけれど来世頑張る、なんて考えるのは輪廻転生を自分の都合で弄んでいます。私は転生はあるものだと信じています。しかし同時に一回きりの今生という考え方を切り離してはいません。どちらも私の人生を考える上で大切な考え方です。そして両方を持つことで何の矛盾も感じていません。

転生があると考える方が豊かです。人生は一回やったからってわかるようなものではないからです。人生は形式的なものではなく中身の深いもので、人生というものをどこまで深めたかが問題になるものだからです。身分や成功談は形式です。

さて一回きりの人生という考え方ですが、実はとても緊張感のあるものなのです。ありがたいことに前の人生の記憶がないので、今という感触は、一回きりの人生と考える時にこそリアルなものになります。一瞬一瞬を生きているというスリルは、過去生があったからとか来世があるからと油断しているとそばを通り過ぎてしまいます。今を生きるという緊張感は一回きりの人生という観点から生まれるものです。

人生を一回きりでいいと考えるのは人生の大きさに気づいていないからです。多くの人が、今生で大きく成功することを期待しているようですが、それでは表面的で形式的な人生しか見えていません。人間として社会でどのように機能したのかは形式に属しています。人生は深くしかもスケール大きなものです。私にはそう見えます。ですから一回生きただけで済むなんていう考えは横着そのもののように見えるのです。

私は死ぬ時には、早くまた生まれたいと思って死にたいです。ただいつ死ぬか分からないので、今から準備しています。本気で言いますが、私はまた生まれてきたいです。今生がつまらなかったからではありません。今生を十分楽しみました。また生まれたいのは今生以外の人生にも興味があるからです。でもその楽しみは自分の都合でどうにかなるものではないのです。

まず今生をしっかり生きます。今生で人生と向かい合う時は、今を充実させることに努めます。それが今生を生きている中で一番大事なことのように思えるからです。

 

 

 

 

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