おにぎりとおむすび。結びのこと。
ふと、何故おにぎりをおむすびというのだろうと不思議になりました。
結ぶ、結びと言う言葉は含蓄のある言葉で、ごく普通の日常生活から専門用語まで、結びと関連する言い方が多くあります。
結晶という物理現象も結び固まるという意味を用いたものです。結ばれるという言葉はもつれるという意味でもあって、量子のもつれなども、元を正せば結びというイメージの中から生まれたものかもしれません。結びは、どんな状況にも対応していて変幻自在に登場します。
桃太郎はおばあさんが作ったおむすびを持って鬼の征伐に行き大勝利を収めたと言われています。おばあさんの愛情が一粒一粒のお米の間に込められていてそのエネルギーを桃太郎はもらったのだそうです。
栄養学的にもお茶碗によそったご飯よりもおむすびにしたものの方が栄養価が高くなると栄養士さんに聞いたことがあります。
子どもの頃、残ったご飯がおむすびにして卓袱台に置いてあるといつの間にか無くなっていました。お釜のご飯には誰も手を出さないのにおむすびは何となく食べてしまうのです。
日本の折り紙のことをドイツの新聞に書いていたときに、ただ紙を折り畳んでいるのではないような気がして、色々と考えていた末に、あやとりと折り紙にはもしかしたら共通なものがあるかもしれないなどと思い筆を進めたのですが、ドイツ人にそのことを説明するには大きな論文規模で書かないとわかってもらえないのでやめて、簡単に折り紙の不思議を書きました。はじめに三角にして、もう一度三角にして、そこから中を開くと四角になるのに、始めに四角にし、もう一度四角を折って四角にして中を開くと三角になるということを説明したのですが、それだけでもプラトンの幾何学のようだと反響があったことを思い出しました。
神社ではお弁当におむすびが入っていますが、神様と結ばれたという意味をシンボル化したものだそうです。
西洋の神秘主義の世界でも物質と霊的な精神世界とは結ばれるという言葉で表します。薔薇十字会の化学の結婚は象徴的な本です。
結婚は縁が結ばれるということで、単に一人の男と女が結ばれるだけでなく、二つの家族が縁で結ばれることも意味しています。しめ縄は、二つの縄を大変な力で結びつけたものです。そこには想像を超えるほどの力が働いていて、縁結びの出雲大社の大きなしめ縄は二つの力を引き寄せ結ぶ場所として多くの人が参詣します。
最後に、やはりあやとりのことが気になるのでそれを結びとして終わりにしたいと思います。
紐を結ぶと結び目ができます。こんがらがって結び目ができてしまうこともありますが、意図的に結び目を作ることもあります。その結び方は何十種類もあって、船に乗る人、アルピニストにとっては命に関わるので知っておかなければならない結び方がいくつもあります。
あやとりは結び目を作らないで遊びます。一人で梯子を作ったり、あるいは鉄橋を作ったりしますが、二人で取り合っても遊べます。特に一人あやとりという魔法の通路のようにいろいろなあやとりの形を通りながら元に戻ってくる不思議な遊び方もあって、お見事と言いたくなるほど見事に仕組まれています。
取り間違えると不本意な結び目ができてしまいます。しかしこの結び目が別の観点からは必要なものとして重用されます。
二本の紐をつなぎ合わせることを結ぶと言います。しかし一本の紐を輪にすることも結ぶと言います。社会生活のなかで共同作業を行うことを古くは結(けつ)と呼びました。結束してというのはその名残りです。今の社会には失なわれてしまったものです。社会が組織化されてしまったこと、そこでシステムの中で生きることが習慣化されたためです。先日のドイツのルール地方の大雨による大洪水のような状況下では、人間本来の結が復活します。そこで人々は多くを失い、失意のどん底にありながら結による根源的な幸せを感じています。