おはようございます
おはようございますはを英語でなんというのですかと聞かれたら、私は戸惑ってしまいます。横槍が入って「グッドモーニングですよ」と言われても。おはようございますはそんなことを言っていないと心の中では思っているのです。ドイツ語ではグーテンモルゲンですが、これは「私はあなたにとって素晴らしい朝が来ることを祈っています(Ich wünsche Ihnen einen guten Morgen)」の省略されたものですから、それとおはようございますは全く違います。おはようございますってなんなのでしょう。
いい天気だ、の英語はI’s fine dayということですが、これはマイクのテストの時には「本日は晴天なり」となります。Itは非人称の主語ですから、日本語でいうところの気のようなものです。インスピレーションで作られた主語ということです。「それなるものがいい日である」などというとんでもないことではなく「よき一日が漂っている」という感じでしょうか。
日本では、会社などの挨拶で「私は三年ほど会議の議長を務めさせていただきましたが、本年をもって若手にこの職を譲りたいと思います」という言い方は普通ですが、これを英語に直訳して理解されることはないと思います。「私は三年議長だったが来年からは若手に譲ります」と言えば英語に訳せます。日本人にとつて当たり前の言い方の多くは他の言葉に訳せないものがほとんどです。
有名な「お茶が入りました」も「お茶を入れて持ってきました」と言っては。お茶から香りが抜けてしまって不味そうです。
ただこの傾向は、18世紀、19世紀になって広がったようで、それ以前にはやや近いものが西洋的表現の中にも見られます。Let’s goはその当時の少ない名残かもしれません。正式にはLet us goで、「私たちを行かしめるものに従おう」、というのが正しい意味で、「さあ行こう、出発」ではないのです。私たちを行かしめる存在のことを感じていたということでしょうか。
現代人の言葉の使い方はどんどん機械の説明書のようになっていると感じたことがあります。特に外国語の会話の本を開くと、そうした表現にたくさん出逢います。機能的に整理されているだけで、言葉の奥にあるものが薄れているのを感じるのです。言葉とは言葉にならないものをなんとか言葉にしようという努力の末に生まれたものではないのでしょうか。