エゴは自我へと発展できるのか

2021年10月29日

玉ねぎの話を続けます。
玉ねぎ的な人間を想像してみてください。
玉ねぎ人間の話です。

とはいえ初めはエゴについてです。
エゴという言葉は、エゴだけで登場することはなく、今日ではエゴから派生したエゴイストと言う使い方をされることが一番多いと思います。ですから、ほとんどがよくない意味で使われています。
ところがそもそもエゴはラテン語で自分のこと、英語の「I(アイ)」ですから、自分をニュートラルに指す意味なのです。従って良くも悪くも、自分以上でも自分以下でもないものです。
では何故エゴイズムとかエゴイストという方にばかりエゴはいつてしまったのでしょうか。
いい意味でのエゴはどこにあるのでしょうか。

エゴイストというのは、自分中心に自分のことしか考えない人のことです。日本語に訳せば自分中心主義者です。
エゴはこんなふうに変形して生き延びたとも言えます。
私はそれだけでなく、自己主張という要素もエゴイストにはあるとみています。外に向かって自分を主張するのです。自分の考え、意見を主張することから始まります。自分の考え、意見というのは自分の所有物です。ということは自分の所有を、所有地を広げてゆくこともエゴイストの仕事で、ここまでくるとすぐに戦争のことが思いつきます。戦争の一番の根本はエゴイストだったのです。個人的な意味でのエゴイストではなく、国家というレベルにまで膨らんだエゴイストのなせる仕業ということです。エゴはただの自分を指しているものから発展して、国家規模で戦争をするほどのものに膨らんでゆきました。
エゴとエゴイズムの間は深いです。そこに成長という亡霊のようなものが見えます。エゴはニュートラルですが、エゴイストには人間の持つ「業」、「性」が付き纏っています。エゴイストを支えているのは、心理学的に言えば自分を大きく見せたいという潜在意識と言えるものです。いずれにしろエゴイストはエゴが異常に膨らんだものだと言えそうです。

成長を見ていると初めは大きくなってゆくものです。子どもから大人になるときは体が大きくなります。肉体的な大きさだけでなく、それに伴ってできること、能力的にもどんどんついてきます。運動能力にしても、言語的なもの、思考的なもの、技能的なものがついてきて、大きくなってゆく感じがします。大人になるのです。
習い事をしても成長があって、初めはどんどんできるようになってゆくものなのですがあるところまでゆくと成長は止まってしまいます。体も同じで、成長が止まったその時からは大きくなりません。早熟の人はすでに子どもの段階で成長が止まってしまうこともあります。大きくなるという成長はいつか止まる物なのです。
さて成長が止まって、つまり大きくなるという成長が終わったら、次に何がくるのでしょうか。エゴで言えば、もうこれ以上エゴイストではいられなくなったようなものです。
楽器を習う時を例にとれば、初めは目に見えて上手くなってゆくものです。できることが増えてゆくのですが、あるところまで来ると技術的な成長が見られなくなります。目に見える成長がなくなるということです。ピタッと止まってしまうものです。
その時、次の成長はどのように展開するのでしょうか。

ここで内面化と言われているものに登場してもらいます。簡単に言えば、見えない成長ということです。
もちろん技術的な成長にこだわっている人だっているのですが、その人たちは技術がアクロバット的なものになって、異表をついて聞き手を驚かすようにはなりますが、音楽的な感動を呼ぶのとは別の仕事になっています。

人間玉ねぎの成長はどうなるのでしよう。どんどん皮が増えてゆくようなものです。それに伴って形もどんどん大きくなってゆきます。しかしその玉ねぎがおいしいかというと首を傾げたくなります。きっとその玉ねぎは買わないと思います。大味のする玉ねぎのような気がするからです。
しかも野菜は本来の成長が止まってしまうと内側から腐り始めます。もしかしたらエゴイストで膨らみすぎた人間玉ねぎも、膨らむ限界まで来た時には、内側から腐り始めているのかもしれません。将来人間玉ねぎの社会は腐って無くなってしまうのかもしれません。いや、将来なんて言わずに、もしかしたら既に始まっていることなのかもしれません。

そこで内面化の登場です。腐り始める前に内面に新しい力が生まれれば、人間玉ねぎは腐らないで次の成長に進むことができます。人間玉ねぎは野菜の玉ねぎとは違いますから、自分で腐るのを止めることができるのです。
ところで内面化って何なのでしょう。
エゴイスト的成長は目に見えるものでしたがこの内面化という成長は目に見えないものです。人間玉ねぎの中で始まっているのですから外からはそこでの変化に気がつきません。
ただ一つ、外から見えるものがあります。
内面化し始めた人間玉ねぎは皮を捨て去って小さくなってゆくものです。内面化が進むと人間玉ねぎはどんどん小さくなつて元気になってゆきます。そこではエゴイストに見られた自己主張とは反対のものが生まれています。
もちろん皆さんが知っている例のアレです。

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