使えば使うほど増えるもの
答えを二つ考えています。
一つはなんとお金です。予想外だった方もいらっしゃるんではないでしょうか。
銀行口座の残高とか、数字として思い浮かべると、まさかと言うことですが、お金の不思議はそれ以上です。
今はお金中心社会なので、物の価値などはみんなお金的な表示になりますが、お金の元である価値というものは使えば使うほど増えると言うことです。価値を数字で思い浮かべる人はだいたいケチな人で、その人がよくやるケチるというのをやっていると、価値を値切ることなので増えることはなく、現状維持どころか、本当はどんどん減っていっているのです。
よく聞くお金がないお金がないといっている人ほど貧乏の本質を悟っているものなので貧乏神に愛された人とも言えます。
基本はお振る舞いです。振る舞うという気持ちの中にお金が入ってくれば、お金も幸せですし、人間も社会も、きつと宇宙も幸せです。
さてもう一つの答えですが、問いです。問うと答えが増えます。どんどん問うと、どんどん答えが増えます。問うことに制限はないですから、答えも際限なく増えると言うわけです。問いも、答えも一生を見れば天文学的な数字になる人もいるはずです。ところが問うのもお金を使うのと同様ケチがいて、何にも問わない人がいます。一生の間自分から疑問に思うことは何もなかったなんていう人もいます。今あるものだけで満足しているのでしょう。「足るを知る」という精神的なものとは全く逆で、「何か本質的なものが足りていない」のです。これも貧乏神のお友達で貧しい限りです。
今あるもので満足していない時は買ってきます。もちろんお金がかかりますから、買えば買うほど金銭的に貧しくなります。悪循環です。そう言う人はものを作るなんてこれっぽちも頭になく、ただ無駄なことだと考えているようです。
現代は消費社会です。もちろん生産者というサイドも存在していますが、これは物作りの精神から物を作っているのではなく、作ったものをどんどん買わせて、それでお金儲けをしたいから作るのです。物作りイコール商売ということです。消費社会で一番大事なのは、なんでも商品にするということです。価値は商品価値以外には考えられないようで、売れれば最高という精神です。
そのために宣伝、コマーシャルが大事です。最近はただ宣伝するのではなく、その商品に良いイメージを持たせることが工夫されます。イメージ商法とでもいうのでしょうか。最近のコマーシャルは本当に手が混んでいて、商品のイメージアップに相当の労力が費やされていることは確かの様です。
少し話がそれますが、今の東京芸術大学、略して芸大の前身の東京美術学校の初代の校長は岡倉天心という人物で(天心といのは号、つまり芸名で本名は岡倉覚三)、彼の言葉で私の好きなのは、当時の学生に向かって言った「売れる様な物を描くな」です。今の社会觀とは間反対のことを言っていたのです。それが原因ではないのでしょうが、一年で校長は首になってしまいました。
美術品だって商品価値を持っていることは誰もが知っています。名のある人の作品となると何億という目玉が飛び出るだけでは治らないような値段がつきます。しかしそれは結果的に商品価値がついたので、初めからその金額で取引されていたわけではありません。ピカソにも貧乏画家の時があって、水道の修理のお金も払えないほどで、お金の代わりにささっとその場でスケッチして、それで修理代に代えたと言われていますが、そのスケッチはピカソが有名画家になると何百万という金額で売買されたので、前代未聞の世界で一番高い水道修理代という逸話話があるほどです。
問えば問うほど豊かになります。人生で一番豊かな人は、一番問いを発した人だと思います。それはお金と違って、死んでからゆく世界でも重宝する物だと思います。
ただ、興味本位で矢継ぎ早に質問をするような状況を目にすることがあります。これなどは問うという精神からはずいぶん離れてしまったもので、ジャーナリズムという世界によくみられます。全く失礼ではないかと思われるような質問を投げかける悪習があります。ただ興味本位、擬似として面白いかどうかという、全く商品的問いの世界丸出しです。
しみじみとするような味のある問いを出して、秋の夜長を楽しんでください。