クリスマスプレゼント
今ドイツで一番盛んに交わされる話題は、クリスマスプレゼントのことです。
社会的にはしっかりと定着した習慣です。それどころか、半ば義務化されているようにも見えます。
個人的には、クリスマスプレゼントに限らず、プレゼントという、作法、儀礼は苦手です。
日本語でプレゼントにあたる言葉を探しても見つかりませんが、英語ではもう一つの言い方があります。それはギフトです。プレゼントとギフトは何が違うのでしょう。
恐ろしいことを言いますが、ドイツ語でギフトは毒のことです。毒を盛ることがギフトなんです。死をプレゼントするということでしょうか。
言葉の由来を説明すると、ギフトは与えるというGeben、英語ではto giveです。人が人に何かを与えるというのはなんとも重苦しいものを感じます。
ギフトなんかもらっちゃいけないのです。そこには下心があるのかもしれないからです。どんな下心かは分かりませんが、ギフトには本意が隠されているのです。
こう言って思い出すのは賄賂です。袖の下です。お役人さんの世界では当たり前のことなのだと子どもの頃に聞いてから、お役人さんを見る目が変わったものです。
プレゼントは前に(プレ)差し出す(セント)という意味から生まれたものでしよう。プレゼンテーションなどもその系列です。
プレゼントは「はいこれ」と言って渡すような物ですが、ギフトとなると物々しい感じがします。ギフトの方がプレゼントよりも重厚です。儀式のようなものの中で、贈りものの授与式のような感じです。「はいこれ」で済ませられるようなもののやりとりではないようです。公に行われる賄賂のやりとりのようなものなのでしょうか。
ちなみに英語のギフトは天賦の才能という意味ですから、天から授けられたという意味が含まれています。やはり重々しい感じです。店名を全うしなければならないので、もうそこから逃げられないと言った感じがします。賄賂も貰ったら最後そこから逃げられません。
ただ私といえども、ある人にこれをプレゼントしたという純粋な気持ちになることもあるのです。本当に純粋に、「あの人がこれを見て喜ぶ顔が見たい」という、子どものような純粋な気持ちにです。
クリスマス商売の邪魔をするつもりはないのですが、やはりプレゼントは苦手です。こんな風習が早くなくなればいいと思っています。
日本語ではプレゼントの代わりに、お礼をします。
神社も本来はお願いに行くところではなく、というのは神様は人間の望んでいることぐらいお見通しなのでそんなことをしなくてもいいのです。神社にはお礼にゆけばいいのです。つまりお礼参りが本道だということです。
そんなものならいただいても悪い気がしないかもしれません。