明日、令和4年1月18日に日本に行きます
母が16日の日曜日に突然腹痛を起こし、救急車で病院に運ばれ、大腸に穴が空いているので、そこから汚物が漏れる恐れがあるので、今日明日の生死に関わることということで、担当の医師と妹のLINEで話をして、手術をすることにしました。
それから日曜日だというのに私が懇意にしているフジツアーズの石井さんが対おいしてくださいました。そして一番早く飛べ方法を捻出してくださり、火曜日に羽田に飛ぶ事ができる運びになりました。
ドイツで検査をして、それを日本の入国サイドの書類に記入しなければ日本が認めないので、夜の10時ごろ飛行場の検査場で検査をし、日本向けの書類を作ってもらう事ができました。
検査結果が次の朝スマートフォンに届いて、それを開くのに一苦労でしたが、なんとか開けて、それを旅行代理店のフジツアーズに送り、検査結果を下に初めて全日空に切符のお伺いをし今日の午後に発券の運びになり、明日の13時の飛行機でフランクフルトを発ちます。
コロナ禍の中での旅行はワクチン接種がまず必要で、それに72時間有効な検査結果を提出して初めて切符を申し込むところにたどり着きます。
料理で最後に仕上げるところでの油断していたら台無しになってしまうのによく似ていて、検査しても、切符の発券が遅れれば、検査結果が無効になってしまうので、その二つの掛け合いが絶妙のタイミングで行われないと、実際に飛べないのが今日の海外旅行です。
日本に着く前にしっかりくたびれました。
さて今回の日本行きを演出した母の直腸の破裂は、穴が何かに抑えられていて、汚物が体内に流れ出ていなかったことが手術の成功につながっていた様です。手術で亡くなる様なことは絶対にとは言えないですが、まずないと思います、と勇気づけられたものの、九十五歳の母が全身麻酔、お腹にメスが入ることなどをどのように凌げるのかはやはり一種間かけの様なもので、終わるまでなんとも言えない宙ぶらりんの状態でした。妹から「手術はうまく行きました」と連絡が来たときには気が緩んでしまいました。医師の話では、とりあえずは一ヶ月くらいの予定で退院を考えていますということでした。
日本に着いてもすぐに逗子に向かえるのではなく、初めの六日間はホテルに強制滞在です。部屋を出てもいけないという人もいましたから、かなりきついものになりそうです。その後もプライベートで迎えが来て自宅に帰れるのですが、四日間は自宅待機で外出はおろか、買い物に行くことすら許されません。十日目で晴れて自由の身となります。今はまだドイツの自宅ですから、明日の朝から始まるコロナ禍の日本旅行がどんなものになるのか、ワクワクしています。
こんな時期に旅行なんかは出来ないと思っていたのですが、母の病気で日本に引っ張られました。私の考えたところで行動に移していたら、まだ一年くらいは日本に行くことはなかったと思います。
母が私に何を見せたがっているのか。それをたっぷり味わってみようと思います。
LINEで友人たちに、母が直腸の破裂で入院し手術をすることを報告したら、早速たくさんのお返事をいただきました。そして無事手術が終わったことを報告した時も皆さんから楽しいお返事をいただきました。
多くの方に見守られての手術だったのだと振り返って、感謝しています。
ありがとうございました。
いつ母に会えるのか分かりませんが、明日日本に向かいます。一ヶ月後に飛ぶ飛行機を予約してありますが、実際にはオープンです。