斑、むらの効用
漆の塗り物や、ペンキなどを塗っていてムラがあるような塗り方をしたら親方からこっぴどく叱られます。一様に満遍なくが美しいとされる世界です。
最近何人かの料理人の人からムラのある料理はかえって難しいと聞き、ムラを作ることを意図することもあるのかと再認識しました。しかもその料理人たちは私が名人と呼びたくなるような人たちだったので、驚きは大きく新鮮だったのです。
ムラは漢字でかくと斑点の斑の字が当てられています。「まだら」ということですから日本的感覚からは不良品ということです。
料理は目でも食べているということは常識です。特にグルメが言われるようになってからが顕著になったような気がします。見た目に美しく出された理料理は確かに美味しそうです。しかし料理の本道は口の中に入ってからで、食感と味覚、そして余韻のはずです。
見た目だけで料理が決められてしまうのだったら、着色料など使って綺麗に仕上げればいいということになりますが、口の中での勝負となると、舌の肥えた人たちを騙すことはできないものです。
ムラのある料理と言っている人の言葉を整理してみると、口の中に入ってからをはっきり意識していました。口の中に入ってからも料理はまだまだ課題を持っていると考えているようで、食べる前に出来上がっている料理よりも、口の中での遊びを考えているようなのです。
美味しい料理というのは確かにあります。あそこのお店は美味しいですよ、というのはある意味本当ですが、それはあくまで一般論で、いわゆるグルメ好きの人たちがああでもないこうでもないと言って評価するところからうまれるものです。ところが美味しいと感じるのは実際にそれを口にした本人で、その人が口にして、そして咀嚼して、飲み込んで、その余韻の中で広がるものです。美味しそうではなく美味しかったが本物です。ドスから車メールで頻繁に送られている料理は、グルメ的発想の延長にあるものです。
料理は主観的なものだと言いたいのです。そして見えないものです。
つまり料理をムラのある状態で仕上げて出す。それは、後は食べる人に任せるということですから、きれいにレシピ通りに仕上げることよりも深く料理に自信がないとできないものなのかもしれません。
ムラのある料理とは言ってももちろん見た目も美しくなければならないのですが、それだけでなく食べてからがまた美味しくという二段構造です。ということは料理を作る人たちは一層の配慮が求められるということになりそうです。
このムラの発想は料理に限ったことではなく、私が講演している時にも感じて、実践していたことでした。講演ではハウツーを示すことを極力避けていました。ということは私の講演会にいらっしゃっても、即役に立つような話は聞けないということですから、それを期待する人に来られなくなりました。私の課題は、たとえばある講演のテーマが出された時に、そのことを考える材料を出すことでした。その材料を聞いている方たちがそれぞれの状況で、それぞれの人生の中で、自分に一番相応しい答えを、自分の中に見つけていただきたかったのです。答えを導き出すのは、聞き手一人一人ということでしたから、講演を終えた私に「今日のお話は私にしてくださったようでした」と何人もの方から言われたものでした。そんな時私は内心で「よかった。皆さん自分の答えを見つけたんだ」と思っていました。
ムラのことを考える時に、音楽を演奏するときムラが難しいことに気がつきました。特にクラシックの演奏は間違いなく弾くという課題があります。ミスタッチは許されないのですから、ムラのある演奏は極端に難しいと言わざるを得ません。もしかするとクラシック音楽というものはムラと一番縁のないものなのかもしれないと感じるのですが、どうでしょう。
もちろんテンポなどはメトロノームで弾いたら死んだ音楽にしかならないので、演奏者に任されますがメロデーは正確に楽譜通りが要求されますからそれ以外はミスタッチです。
どのように音楽でムラを作ったらいいのかということです。
クラシック音楽に限らず、ジャズやポップと言った軽音楽にもムラの難しさは言えるような気がします。数多の音楽の中で、音楽の特殊性がそこに見られるのかもしれません。
私の家のお寺さんは谷中にあり、東京芸術大学の二つの門の前を通るのですが、この大学、美術系と音楽系が分かれています。
どういう人がどちらの門に入ってゆくのかは一目瞭然なのをいつも可笑しく感じながら通り過ぎてゆきます。美術系の人はだらしなく乞食風で、音楽系はきちっちりしているエリート風です。
教育にムラ的発想を導入できたらと考えるのですが、そのために方法論とかカリキュラムのようなものを打ち出してしまうと、逆効果で、レシピ通りの教育になってしまうでしょうから、方法論はご法度で、どのようにムラ的発想をお伝えしたらいいのか思案中です。
シュタイナーが「人智学は料理のレシピのようにやらないでください」といった意味がようやく分かりかけています。