笑う門には福来たる。あるいは微笑みについて。
大好きな諺です。正真正銘の座右の銘です。
ファイナンシャルのコンサルタントのような人に、「笑ってそれで福がきて何になるのですか」と言われれば、確かにその通りです。ところが、もし笑わなかったら、と立ち止まってみてください。人間様どうなってしまうのでしょう。ファイナンシャリストたちに機会があれば聞いてみたいのですが、お金があれば福は来るのでしょうか。
自説ですが、人間は笑わなかったら大変なことになってしまいます。笑い喪失症候群という病気による枯渇、硬化のために、自分を支えていた軸が、歯車が合わなくなった時計のようにずれしてしまいます。心身は狂ってしまい、精神的な破壊が生じ、最悪の場合は死んでしまうでしょう。
笑わない、笑えないというのは「死に至る病」にかかっているのです。逆に、笑うことは生命力増加のために欠かせない妙薬なのです。
現代はどこの国を見ても「グローバル」という合言葉に導かれ国際色豊かになりました。ドイツも御多分に洩れずいろいろな国からの人が生きてます。
笑いという観点から見てみると、例えば日本人が集まったときには日本独特の笑い方があると感じます。笑いながら一体感を醸し出します。これは日本にいる時には、周りが日本人ばかりだったので気付かなかったことです。
もちろんドイツ人の笑い方もドイツ的です、イギリス人の笑い方(イギリスを一派一絡げにしては怒られます、イングランド的、スコットランド的、ウェルズ的、北アイルランド的で、それぞれに違うのです)、フランス人の笑い方といろいろです。
そしてよくよくそれらの笑いを見てみると、笑いは人と人とを結びつけるつからがあるものだということです。孤立した現代人に一番欠けているもの、それが笑いなのかもしれません。
政治的に分けられた国家という単位は、笑いを研究するには何の役にも立た無いものです。国家単位よりも、国家以前から存在している集団、民族の方が、笑いを観察するには手応えがあり面白いです。もちろん国家と民族が同一の時は別です。
さらに細分化すると、日本の中も関東・関西と分けられますし、南国の人、北国の人と分けられますし、太平洋側と日本海側の人にも分けれられるかもしれません。それぞれに少しずつ違った笑いがああるようです。
大阪の友人の年頃のお嬢さんに、「東京の人との結婚は考えられますか」と聞いたら、即答で「それはないでしょうね」と返ってきました。理由を聞くと「笑うところが違います」でした。生涯の伴侶を選ぶときにはいろいろな動機があります。一番の動機は好きになってしまったことでしょうが、それだけでなく家柄、経済力、容姿などがそれに続きます。でも笑いが登場するとはその時まで考えたことがなかったので、友人のお嬢さんの言葉は新鮮でした。と同時に大阪の人の中には笑いが根強く生きているのだと知りました。
最近聞かなくなったのは、「オリエンタルな微笑み」という言い方です。「神秘な微笑み」です。
中近東から東、アジアに連なって行く地域は、湯ヨーロッパから見てオリエンタルとよぱれ、東方ということです、人々の生活の中に微笑みがあると信じられていたのです。今日の情報社会ではなく、フェイクは至る所に溢れていました。そんな中で微笑みはとても神秘的なものだったのです。
気が付けば日本でも微笑みはほとんど死語になっています。日本だけでなく、世界中が微笑まなくなって真面目ヅラ、仏頂面というのか、顔が引きつって、微笑みなんかが生まれないのです。
四月の復活祭の時に、久しぶりにグリューネヴァルトが描いた復活するキリストを目にすることがありました。それはフランスのアルザスにある癩病患者の礼拝堂に飾られているえです。毎週一度日曜日にだけ開帳される絵で、昇天し復活したキリストの顔が描かれているものです。透明な平安を久しぶりに感じ、たくさん元気をいただきました。
その時、ふと、仏像が見たくなりました。昇天するキリストの顔が東洋的な安らぎに通じていたからです。家にかるとすぐに私の好きな仏像の写真をいくつか取り出して貪るように見ていました。
そこで気づいたのは、それらの顔は共通して微笑みを浮かべているということでした。興福寺の仏頭のおおらかな眼差し、葛井寺の千手観音の全てを見通した慈悲の安らぎ、長谷の大仏のゆったりした微笑んでいるかのような優しい顔、全ては格別でした。どの顔も今の世情からは程遠く、今日的な雑多な考え方に染まってしまった私たちからは生まれようの無い無垢な顔でした。ところがそれらはどれひとつとして笑ってるとは言えないのです。彼らの笑みは、笑う前の微笑みの源泉なのかもしれません。その源泉に触れると、心は自ずと緩み、顔が自然とほくそ笑んでくるのです。
人間の深い安らぎから微笑みは生まれていたのです。オリエントの微笑みは、遠くオリエントにはあるのかもしれないと信じていた西洋人たちの憧れだったのかもしれません。