芸術からの出発

2012年10月11日

子どもと絵を描こうとすると、「(僕)、私、描けない」と言われてしまいます。

親御さんたちと歌を歌おうとすると「歌えません」と拒否反応がすぐきます。

 

する気が無いだけじゃないかと私は内心で思っていますが、そこから誘い出すのは難儀です。みんな思い込みは強いですから、そこを崩すのはとても大変です。

 

そこには自分という問題があることも言っておきます。

絵を描いたり、歌を歌うのは自分といやがうえでも出会うことになります。

 

自分というのは恥ずかしいものなのです。羞恥心、シャイというのは自分を意識するところからきます。自意識が強いと恥ずかしがり屋でシャイです。自分に気付くと恥ずかしいという感情に変化します。

 

芸術家タイプの人というのは自分をさらけ出す人だと言ったら言い過ぎでしょうか。自分を人前にさらけ出しても恥ずかしいという感情の渦に巻かれません。自意識がないのです。というか絵とか音楽とかいうものに自分を放り込んでしまいますから、自分などにかまっている暇も時間もないということです。

 

今の人たちは芸術的でないという印象をよく持ちます。それはそのはずで、みんな自意識ばかりを育てていますから、自分を解放する、自分を何かに思いっきりのめり込ませるなんて無駄なことだと思っているからです。無駄なことはしない、真面目な人たちばかりが現代はうようよ生きています。

 

そろそろこの自分をなんとかしないと、みんな自分のカプセルの中に入り込んで自意識の塊ばかりの世の中になってしまいます。とても生きにくい世の中になりそうです。

 

芸術の復活が叫ばれていいのです。

昔の人たちは仕事をしながら歌を歌っていましたし、子どもたちはうまい下手なんて考えることなくどこにでも絵を描いていたものです。

 

芸術は自意識の延長にあるものではないですから、先ずは自意識を壊さないと始まらないです。芸術で自意識を壊すのは難しいと思います。他の道を探さないと駄目です。どうしたらいいのでしょうか。教えてほしいです。

 

一つだけ予感していることがあります。

 

今の世の中は何も信じていないと言ってもいいと思います。神様を信じるなんて脳なしのすることですし、人は簡単に信じてはいけないものです。お金も信じすぎるとしっぺ返しが怖いです。地位も名誉もはかないものです。一体何を信じたらいいのでしょうか。

 

先ずは自分だと思います。自分を信じると言うのは自分を意識するのとは違います。

自意識はどちらかというと自分否定つながります。自分を信じると言うのは自分肯定です。

「おまえはそれでいいのだ」というスタンスです。ついには自分のカルマ、運命までを受け入れてしまいます。そこが芸術の始まりだと思っています。つまり芸術から力をもらえると言うことです。無駄なことの中に真実があるということを知ることです。

 

みなさんに風通しのいい人生を期待しています。

 

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