昔の山手線の着物姿
もうほとんど見かけなくなってしまいましたが、普段着の着物姿は晴れ着などとは違った素朴な風情を感じさせる良いものでした。六十年以上前の山手線は今とずいぶん違った、普段着の着物姿の風物詩が生きていました。
それだけでなく、山手線の当時の車両は木の床で、メンテナンスに油を塗っていたので。その後は実に臭かったのです。当時はまだ戦前からの言い方がされていて省線って言う人の方が多かったようです。鉄道省、今の国土交通省の電車という意味です。いつの頃からか「やまのて線」と呼ばれるようになりましたが、昔は「ゆまて線」でした。車両は今より短かかったのに、今ほど混んでいませんでした。
そんな中で普段着の着物姿の人がちらほら見受けられたものでした。私の祖母も木綿の普段着の着物で「省線」を使っていました。木綿の絣の柄の普段着ですから、今日の着付け教室で習ったような堅苦しいものではなく、ましてやおしゃれを意識したものではなく肩の力を抜いた、体にピッタリ馴染んだゆったりした感じでした。
着物姿が消えていったのは高度成長とともに東京が首都として機能し始めた頃だと思います。男性はネクタイ姿で女性もタイトなスーツ姿でしか山手線には乗ってはいけないような空気が漂い始めます。普段着の着物姿以外に、夏などはステテコで「省線」を使う人もいました。つまりそれまでは東京の人も一地方出身の田舎っぺだったのです。東京生まれの田舎っぺにすぎなかったのです。
さて普段着の着物姿に戻りましょう。関しいかな今日ではほとんど見られなくなってしまいました。とても寂しいです。着慣れていると言うのか、着こなしているのです。体にピッタリと馴染んでいますから、少しくらい着崩れしていても気にならないのです。着ている方たちも着慣れているので押さえるところをしっかり押さえて着ているのです。こんな自然な感じは今は見られません。当時の着物を着慣れた人たちは着物を体で知っていたのだと思います。着崩れしてもだらしないというようなものは全然感じられないのです。
その点晴れ着姿は普段着物を着ない人たちが着ることが多いので同じ着物姿とはいえ別物です。着慣れない人が着ているので少し着崩れただけでも目立ちます。それに比べると普段着の着物のさりげない優雅さは格別です。この違いはとても興味深いものです。
着物文化が衰退したのは残念ですが、生活様式が変わってしまったので着物では不便を感じるので致し方ないのでしょう。着物では自転車には乗れませんから。
ということは洋服というのは機能性ということから定着したものということなのかも知れません。よくドイツで、「日本人が洋服を着るとなんだかつまらない」と言う人が多いです。結局洋服というのは、そのように外から押し付けられた衣類のせいなのでしょうか。とは言っても今の人に着物を着せても、とってつけたようなものでぎこちないだけです。服装文化として日本は、着物と洋服の間で、どっちつかずになって迷子になっているのかも知れません。