デジタルの時計

2022年7月19日

先日少々驚いたことがありました。歳のころ二十歳を少し過ぎた、幼稚園の先生になろうとしている女性が、長針と短針の時計が読めないことを発見したのです。

外を歩いている時、今では公の場所にすら時計があるなんて珍しいことなのですが、大きな丸い時計が折りよくあって、その時計を見ながら「五時まであと二十分だね」と言ったらキョトンとしているのです。

つまり彼女はデジタルの時計しか知らないので、携帯の時計をみて「そうですね」と答えるのです。数字で表された時間しか時間ではなく、秒針が動く、長身と短針の組み合わせで時間が表されることを知らないなんて、正直信じられないことでしたが、それが今の現実なのです。

 

台所で使う秤もいまはデジタル化されたものがほとんどです。一グラムまで正確に測れますから便利は便利です。しかしメモリを読みながら測る計量器はどんどんなくなっています。

天秤というのは片方に分銅を乗せ、それに見合った量をもう片方に乗せて測るのですが、両方が釣り合いの取れた状態になるまで、測られる方を微調節します。そこにはなんとなくスリルがあって、学校の理科の実験の時などは楽しみの一つでした。今はみんな数字で表されるので、分銅とのバランスなんて言っても、時計すらデジタル化された数字の時間しか知らない世代になので、通用しない話かもしれません。

 

測るというのは考えてみると広い意味を持っているものです。測る気になればなんでも測れるはずです。例えば相手と自分の関係なんていうのも測れます。何グラムでもなく、何センチメートルの距離とかいうものでもない、軽量単位は各人各様です。自分自身も「昨日に比べて今日はどのくらいの良好機嫌か」なんて測れます。一般的な単位はないので、各人で見つけなければなりません。

 

最近は統計学というのが非常に発達していて、データーを巧みに処理して、過去・現在・未来の動向を読み取るのです。占いとか預言者の言葉とかとは違い学問的にデーターを処理する技術が開発されているのです。これもある意味で測るという仕事に属するものではないかと思います。

 

昔聞いた偽札造りの名人の人の話です。この人は何年もの間手書きで偽札を造って生計を立てていました。一週間に一枚十万円札を造って銀行の窓口で一万円札十枚に替えるのです。何年もの間お縄にかからずにいました。

彼が同業者の話をした際、「みんなコンピューターで色の配合を測っている」と指摘し「でもそれは人間の目には見破られてしまう」と付け加えていました。だから彼らはすぐにお縄にかかってしまうのだそうです。どんなに精巧なコンピューターとコピー機ができても、「そのようにして作られた偽札はすぐにバレる」と名人は言っていました。

名人は全部手書きで作ります。色鉛筆で色を混ぜるのだそうです。自分の目が同じ色と認めるまで色を混ぜると「一人の訓練された目が同じ色と認めた色は、他の人にも同じ色に見えるものです」というのです。

人間には機械には及びのつかない正確な色測定器が備わっていると言うことなのでしょう。色だけでなく「形も手書きはバレません」と言います。

なぜその名人が最後はお縄にかかったのかは、残念ながら忘れてしまいましたが、銀行の窓口で見つかって警察に引き渡されたなんてみっともない最後でなかったことだけは確かです。

 

私は一つだけ測ることで自慢できる特技?があります。

旅行のスーツケースの重量は、手に持っただけで二百グラムぐらいの誤差で測れるのです。

日本からドイツに向かう飛行場でチェックインのために並んでいると、列の前の家族連れの旦那さんが「まずった。スーツケースを測ってこなかった」というのです。「二十キロまでよ」と奥さんが言うと、「わかってるよ」と旦那さんが不安そうに答えます。「オーバーしたらどうするのかしら」と不安は募るばかりの家族連れでしたから、そこに割って入って「測ってみましょう」と二つのスーツケースを手に取り「こちらは17キロもないです。そして、こちらの方も19キロ台かな」というと、少し安心したようでした。案内の人に呼ばれ、いざスーツケースが軽量計の上に乗るとすぐさま私の方を振り向いて「ピッタリでした」とニコニコしながらおじきをされてしまいました。

 

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