美味しいですかよりも家庭料理
お食事をした後「美味しかったですか」って聞かれると答えに窮してしまいます。
理屈っぽいので、「美味しかった」と「美味しく食べられた」とは違うと思っています。その辺をちゃんと聞いてもらえたらうまく答えられるかもしれません。
とりあえずはなんでも食べるので、特別美味しいというものの方をかえって怪しんでしまいます。
食事は美味しいと楽しいとがあると思います。味覚的にも同じでしょう。ワクワクするような味付けに出会うこともあります。それを美味しいというのはあまりに平凡すぎるような料理です。
私にとって美味しいというのは横にはとても幅の広いものですが、縦幅はあまりはっきりしないようです。
魚や野菜の煮物は日本料理の中でも特別の料理で、舌鼓を打つようなものが時々あります。現代人は傾向としては煮物が苦手です。従って、年配の、それも相当年配の世代の人の煮物は時々食べたいと思うことがあります。それは美味しいを通り越しています。
ドイツではレストランで食事をした時、ウェイトレスさんやボーイさんが下げに来る時に必ず「美味しかったですか」と聞いてきます。型通りのやり取りですから「はい」と通り一遍に答えます。食べられましたかという感じがしないでもないです。日本だったら「お口にあいましたでしょうか」と聞くところでしょう。
ドイツの味覚と私の味覚は180度とは言わないまでも、だいぶ違う方向を向いているので、レストランで食べるものには期待していません。大抵は味付けが塩っ辛くて閉口してしまいます。それ以外にも、ここでもう一工夫したらレベルアップするだろうになどと感じてしまうことがほとんどです(ひと手間をかれるかどうかは日本とフランスの料理の特徴なのです)。ですからウェイトレスさんやボーイさんには嘘をついていることになるのでしょうが、社交的な礼儀と割り切っていつも「はい」と答えています。美味しくなかったら次に食べに来なければいいだけのことです。
日本料理の懐石は、偉そうに語れるほど食べてはいないですが、最近創作が盛んで、かえって凝りすぎているのではないかと思うことがあります。一時期ラーメンのスープも凝りすぎて、食べていて疲れるようなものがありました。料理を作るときに、あまり思い込みを入れすぎると、料理が重くなってしまいます。重くというのは味付けではなく、料理そのものがです。そういう料理は食べた後どっと疲れが出ます。
料理は自分で無理なくできることをさりげなく作るのが一番ではないかと思っています。そういう意味でも家庭料理は魔法の料理です。美味しい、美味しくないという俗な評価を超えた魔法の料理、神聖な料理です。
この文章、書き始めたら意外と難しく、まとまりのないざっくばらんなものになってしまいました。でも没にしないで公開します。ブログのいいところです。