手品のカラクリと政治のこと
手品師の技にまんまと引っ掛かるのは楽しいものです。ズブの素人ですが、あの技の影には大変な量の努力があることぐらいは想像がつきます。しかしよくまんまと引っ掛かるものです。
人によってはどうやっているのか知りたくてしょうがないと聞きます。そのために種明かしをするお馬鹿さんたちが後を立たないのは残念です。私はそんなことは絶対にしたくありません。騙された時のあの幸福感はなかなかない体験です。
今日の何でも知りたがるという性向によって人間は賢くなるのでしょうか。
たとえ賢くなっても権力欲という火種が残っている限り幸せになることはないと思います。
みんながみんなを支配したがっているのです。これでは駄目ですね。
YouTubeという媒体の出現で、好き勝手なことがある程度は言える時代になったことで、昨今は政治の裏を暴露するという話で持ちきりです。みんなが「自分は正しいことを言っている」つもりでいるわけです。
まるで政治には裏があるというのが今に始まったものかのような感じですが、政治というのは鳴門の渦潮のような途轍もない現象です。二千年前のシーザー(カエサル)の「ブルータスお前もか」という台詞通りに裏切りが絶え間なく続いているものでもあります。
こうした政治の種明かしをしたいと考えた人は枚挙にいとまがないと思います。よく見られる暗殺というのは、どのような暗殺も、所詮は種明かしをされまいとするときに、政治的手品師の手によって行われるものです。不慮の事故も同様です。
政治がそういうものだというのは人間の業のようなものだと考えます。政治というよりも自惚と権力欲です。その力が政治そのものなのですが、今はそこにお金という、これまた魔法が加わって巨大な権力を得て人間生活を振り回しているわけです。実に腹立たしいです。腹が立ちます。
しかし政治というのはそうした暴露が炎上し、種明かしされたところで巨大な渦が衰えることはないものです。このメカニズムは誰よって作られたのでしょう。知っている人がいたら教えていただきたいです。確かなのは、一つの渦が消えれば別の渦が正義を名乗って登場し自らを正当化し、新しい歴史を書きます。Histoty(歴史)=His story(さる方の作り話)ということです。
手品師はいつも何らかの形で嘘をついて、聴衆を騙しています。それは正直な人間であればあるほど、魂の負担になっているものだと聞きました。魂のレベルだけでなく肉体的にも負担がかかっているものですから、デドックスが必要なのです。不思議な職業病です。そのために手品師たちは休みをとってメンテナンスをしなけばならないのだそうです。どのような形が好ましいのかは個人差があるようです。何も考えずに美味しいものを食べ、清々しい空気を吸って、いい景色で目の保養をすることなのかもしれません。
音響の仕事をされている方から聞いた話です。都会での生活の中にいると、体が消化しきれない音が体に溜まるのだそうです。学問的に証明できるものではないので、個人的な印象です。そのため、一年に一回は、しばらくの間森の中でただただ自然音だけを聴いてデドックスするいうことでした。
お酒の利き酒をお仕事にしている方は、普段の生活から摂取するものは体が消化しきれないものがあると感じ、やはり一年にある期間、山にこもってほとんど繊維質の強い山菜のようなものだけを食べる時間を作ると言っていました。そうしてデドックスした後は味覚が冴えているのだそうです。
政治の世界にもデドックスの必要を感じます。
いや人類はしばらく休憩してもいいのではないかと、単なる想像から考えています。