悪魔の居場所
悪魔と言われているものは、そんなに悪魔らしくしているわけではないということが最近わかって来ました。身だしなみもきちんとしていて、目立つことなく普通です。むしろお洒落です。
その昔「悪魔のトリル」というヴァイオリン曲があるらしいと聞いた時、ワクワクした覚えがあります。音楽は天使系のものだと思っていたので悪魔群がどんな音楽を作るのか楽しみだったのです。
キリスト教の教会には祭壇のところが丸天井になつていて、上を見ると天使たちが楽器を持って音楽をしている姿が描かれています。この丸天井は建築的にはコーラスと呼ばれます。合唱を意味するコーラスのことで、そもそもはギリシャ語の「輪踊り(わおどり)」に由来しています。天使たちが楽器を奏でながらの輪踊りをしているのです。
京都の平等院にも天女たちが楽器を手に音楽をしている様子が描かれています。ですから、音楽と聞くと天使、天女とは結びつくと思っていたので、悪魔群が音楽をするというイメージがピンときませんでした。
この曲をラジオで偶然聞いたのですが、その時、「なんだ普通の曲ではないか」とがっかりしたというか、胸を撫で下ろした覚えがあります。おどろおどろしい音楽を想像していたからです。それ以来悪魔というのは特別なものではないことを知りました。曲の解説によると、三楽章に出てくる重音のトリルが当時にしてみると超絶的なところがあることが悪魔的と言わレル様になったらということですが、今では技巧的な曲はあまたあり、逆にそれが普通になっていますから、悪魔の活躍の場所も増えたということなのでしょうか。
技巧とか技術といったものは訓練でどんどん上達し、発展します。この発展、進化、向上を支援しているのはどんな力なのでしょうか。ここら辺に悪魔というのは関与しているのではないかと勘ぐりたくなります。
スポーツ競技の記録はどんどん向上しています。近代オリンピックがアテネで開催された時の100メートルは12秒でした。今は9秒58ですから、一緒に走れば30メートル近い差がつく計算になります。日本が水泳王国だった終戦後1949年に古橋廣之進選手が18分19秒という当時にしては途轍もない大記録を打ち立てこれは破られないだろうと言われたほどでしたが、今の世界記録は14分31秒02です。体操も1964年の東京オリンピックの時にはウルトラCなどいう超絶技巧が話題になりましたが、今日の体操技術はそれをはるかに凌駕しています。フィギアスケートも回転数とその技術がどんどん向上しています。
このように私たちの世界つの周りにはどんどん向上する技術的なものがある一方で、全然向上しないものもあります。ここがわかる様になったのは成人してからだいぶ経ってからのことでした。ただしこちらの方は主観的な解釈が加わるところがありますから、参考にする程度に読んでください。
中学の頃に知り合いの書家が「王羲之の蘭亭序以上のものは出ていない」ということを話してくれました。当時は、ほとんど二千年も前の人の方が字が今の人の字より上手なんてどういうことかわかりませんでしたが、今は字は心を表すものなので、がむしゃらに訓練したり鍛えたりして上手になるものではないのだと少しはわかって来ました。習字の先生に「習字をすると字が上手になりますか」と伺ったら「なりません」と即答されてほくそ笑んでしまいました。「上手になる人は元々うまいんです」ということの様です。知り合いの絵描きさんが、「絵も技巧的に上手になってくると、落とし穴があるんですよ」と言っていました。「一見上手に描けているのに目が肥えてくると絵が硬くなっているのがわかるのです」。硬い絵と柔らかい絵があるというのが新鮮でした。ただこれはオリジナルを見ないとわからないのだけどね、と付け加えていました。
ライアーの演奏もそんなところがあって、弾き手の技術が上達すると確かに上手に聞こえるのですが、どこかでライアーが嫌がっている様にも聞こえます。ライアーの超絶技巧曲なんて絶対にありえないです。このような楽器は他にないですから、ライアーは不思議な楽器だと思っています。ただこれがなかなかわかってもらえないところではありますが。
日本庭園を歩いていると、曲がりくねった道に不規則的に敷かれた石が敷かれてます。石の大きさもまばらで、石と石の間の距離もムラがあり、規則的に整備されていない道です。ここには一つの意図が隠されているということです。直線は悪魔が歩けるけど、曲がりくねった道は悪魔が苦手としているのというのです。バリ郊外のヴェルサイユ宮殿とかそれを真似して作られたヨーロッパ各地の庭園の作りをみると、定規で引いた様に真っ直ぐな道ばかりです。日本庭園の曲がりくねった道はしなやかさを感じるのに、西洋の庭園の道は綺麗に整ってはいるけど硬く冷たい印象があります。どこかに悪魔が座っているのでしょうか。
悪魔のトリルからとんでもない話になってしまいましたが、悪魔というのは私たちの敵という位置付けではない様です。とても近いところにいて、私たちの成長、人類の発展を助けているものの様に見えます。しかし成長が嫌いな悪魔もいるようで、ホッとします。
どちらも正真正銘の悪魔なので、人間とは二つの悪魔の間をブランコのように行ったり来たりしているものなのかもしれません。