盲点、真空地帯、ブラックホール
シュタイナーが目について言っているところでとても興味深く読んだのは、視神経が一番集まっているところが一番見えそうなものですが、現実には盲点と言って、そここそが何も見えないところだと言う不思議な指摘でした。
器用貧乏とか、八方美人とか言う言い方は、何でもそつなくできる様にと頑張ると、却ってそれが仇となって落とし穴の様なものに陥るという例えですからよく似ています。
学校というシステムの中で子どもを育てようとすると、案外陥りやすいところです。一番顕著なのは給食指導です。給食では何でも食べられる子どもにしようと学校側が、時には体罰と言われても仕方がないほどにエスカレートしてしまうほど頑張るわけですが、却ってそれによって不幸な子どもを育てしまっているのです。何でも美味しく食べましょうなんて馬鹿馬鹿しくて笑い話にもならないくらいです。しかし現実にはまかり通っているのです。
これらは真空地帯、ヴァキュームです。宇宙に存在すると言われるているブラックホールを思い起こさせるものです。銀河系の中心にもブラックホールがあるようで、何のためにあるのか、どの様にしてできたのかは未だに謎めいているものですが、あることだけは最近写真撮影が成功したようで確かです。
人間生活にもこのヴァキューム、真空地帯があります。何のためにあるのかは分かりません。どの様にできるのかも分かりませんが、真空地帯は存在している様です。シュタイナーが、見えることと視神経の働きについて言っているように、一番役に立ちそうなものが集まると却って真空地帯ができてしまうのかもしれません。良いことというのか先行してしまう教育という現場が一番陥りやすいものです。人間とはそんなに良いことばかりしようと頑張らなくてもいいのだという教訓かもしれません。
ミツバチや、蟻の社会には怠け者が存在して、社会のバランスをとっていることが知られていますが、人間にも当てはまることの様です。何の役にも立たないことをするというのは、善人ほどできないことです。いや本当の善人ではなく善人ぶっている人にはできないことと言ったほうがいいのかもしれません。善、つまり良いことというのはそんなに沢山しなくてもいいのです。
余談になりますが、これは報道の世界でも言えることで、まともしやかに言われているものほど一度疑ってかかったほうがいいものです。そこには必ず盲点が、真空地帯が、ブラックホールがあるからです。