理系・文系で遊んでみると
システム化はまるで化物、妖怪のように私たちの生活の中に入り込み、見方によれば蝕んでいます。
社会がシステム化するというのは社会が合理的になり、ついには管理社会になるということに等しい様な気がするのですが、システム化ということで考えを推し進めてゆくと、人間生活は将来的にどこにたどり着くのでしょうか。
誰かが誰かをシステム的に管理する、つまり誰かにとって都合のいいものと言えそうです。これが、システムを誰が考え出したのかの答えの様な気がします。ということはこのシステムには初めっから限界があるということなのでしょうか。
地球上でシステム化などいうことを考えているのはおそらく人間だけでしょう。アリやミツバチの社会もシステム化していると見れば、確かに人間以外にもありそうですが、意識のレベルが少し違う様な気がします。人間のシステムには欲が絡んでいる様です。
社会をシステム化しようとした動機は、社会を資本主義、社会主義と見るのとは別の問題です。というか、どちらにも共通しているものなので、もっと根っこが深いということです。
理系文系で言えばシステムという考え方は理系的産物に違いありません。文系は割り切れないことが大好きですからシステムなんかを好まないからです。
システム化が進むと社会は支配層と非支配層の間に一層格差のあるものになってゆくのでしょうか。システム化した社会は、みんなが平等とは言えなくなるのでしょうか。この二つは相矛盾するものなのでしょうか。つまり、社会をシステム化し機能的に合理化して誰が得をするのかと言えば、ただ一つ、支配階級だからです。つまり社会を支配しようとしている人たちです。戦争の原因はシステムにあるということでしょうか。
ほとんどの人にとって社会がシステム化するなんてどうでもいいことなのです。それどころか不要の長物です。人間というのはそもそも文系ですから。
コンピュータはシステム化の片棒を担いだ立役者です。社会を計算通りに収める、つまるところがシステム化しようとする歴史を見ればそこにいつかコンピューター(優れた計算機)が誕生するのは目に見えています。
日本は世界がどんどんシステム化してゆく中で、マイナンバーのことで擦った揉んだしています。番号化されることで困る人があちらこちらにいるからなのでしょうか。
世界が理系社会になりつつある中で文明の進んだ国の中で日本だけが文系社会を維持しようとしている、維持せざるを得ない特殊な社会に私の目には映るのです。
隠れたところにある潜在的な動きをみると、理系は文系に憧れ、文系は理系に憧れているということです。
未来が楽しみです。