読むと声が聞こえてきます
今日はなんでもない、つまらないことを書き記します。
音読なんて時代遅れの様な感じがする人は、今中国で音読が見直されているなんて聞いたらびっくりするでしょう。
シュタイナー学校では毎朝、詩を声に出して読みますが、東京の名高い進学校の先生で、シュタイナー教育とは関係のない流れから、朝に詩を読むことを実践していた先生がおられました。「詩を声に出して読むと、背筋が伸びる様な感じがします。子どもたちも集中力が増している様に思います」と言うことでした。
昔から本を読んでいると読んでいる活字が音になって耳の中で響いているのを聞いていました。文章の良し悪しはなかなか決め難いですが、その時に聞こえている声で判断したりしていました。黙読している時にも声帯が動いているという報告もありますから、自分で読んで、自分で喋って、自分で聞いて、と一人三役を読書の時にはやっている様です。
余談ですが私は漫画が読めない人間です。漫画読めない症候群の重症患者です。私にとって本を読むというのは、読んだものからイメージを作る仕事ですから、漫画というのは絵が邪魔で煩くて仕方がなく、今日まで読まないできてしまったのです。自慢じゃないですが、漫画は一冊も読んだことがありません。そもそもビジュアルなものは苦手ですから、部屋に絵が飾ってあるのも煩わしいと思うことがあります。とは言っても全部の絵がそうではなく、気にならない絵もあります。でもできれば何もない方が有難いです。
音楽を聴いていても、映像が出てくることがあり、聴覚で受けたものが内側に入ってゆくと視覚の仕事に代わっている様です。こんなふうに言うと、私がどんな絵を描くのか興味を持たれる方がいるかもしれませんが、絵と呼べる様なものは描けない人間です。上手いとか下手とか言うレベルではないお恥ずかしいものです。
人とすれ違った時に音が聞こえ、そこから映像的なものが見えてくることがあります。すれ違ったその人がどんな人か、全く知らない人でもその人のイメージが残ることがあります。
目の不自由な人が戦時中に、スパイを見つけ出す役目をおおせつかったことがありました。大切な軍法会議などの入り口で、入場する参加者一人一人と握手しながら二言三言ことばを交わすだけなのですが、彼はスパイを何度か見つけています。まるで嘘発見器の様なものですが、嘘発見器よりも正確な上、短時間で判断することができます。声の中に何かを見ていた様です。言葉ではいくらでも嘘がつけますが、声は嘘をつけないと言っています。声というのは、なんだか相当正確なもののようです。
日本語で読んでいる時にはよく声を聞いていましたが、文章がこなれているものほど声の聞こえはいいのです。学者先生が書く論文というのはなかなか声が聞こえないものです。いろいろな本の寄せ集めの様なもの、あるいは引用を羅列するものからは声は聞こえませんでした。ある日ドイツ語でも声が聞こえる様になっているの気がつきました。でもそこに至るまではずいぶん時間がかかりました。シュタイナーの講演録を勉強のために必死で読んでゆくうちに、彼の独特な言い回しや、言葉遣いに慣れてきた頃でした。ある程度のスピードで読める様になっていて、ある週末一冊の本をどうしても読みたくて、朝から晩までほとんど食べることもそっちのけで読み耽っていた時のことです。ふと気がつくと日本語のように声と一緒に読んでいたのです。とっても嬉しい思い出です。