メーテルリンクの青い鳥

2011年4月10日

チルチルとミチルの話しです。樵の子どもが夢の中で見た話しという筋立てで、どこにもありそうな話だと思わないで是非読んでみてください。

メーテルリンクの素晴らしさの虜になること請け合いです。

筋立てもさることながら言葉の美しさ面白さ諧謔ととシンプルさが、群を抜いています。

それに加えて堀口大学の翻訳が素晴らしいです。

おそらくこれは名訳という部類に入るものだと思います。

とにかく読んで解り、それだけでなく言葉を感じることが出来る訳です。

他の文化を肌で感じるなんて、音楽や絵画はともかくとして、言葉の世界ではめったにないことです。

さてメーテルリンクのチルチルとミチルですが、夢で妖女に出会います。

そして青い鳥を探してくる様に言われます。

そのために不思議な帽子を授かります。

その帽子にはダイヤモンドのダイヤルが付いていて、それを回すと思い通りの世界に行けるという設定です。

ダイヤルを回して登場した国で青い鳥を探しながらいろいろな体験をするのです。

どくな世界に行くのか。それは読んでのお楽しみ。

そこで登場する死んだ人たちや動物や幽霊やらと話をする時に登場する言葉が、的確に戦争の時代を風刺しているのです。

それだけでなく深い意味で生きることの意味を語ります。

しかも子どもの言葉でです。加えて劇の言葉でです。

子どものことばというのは驚くほど熟しているものです。

そこにはなぜならばという大人がいろいろと理屈をこねたがる部分がないからです。

その分、全てが直接的でしかも直感的です。

劇の言葉というのは、注意深く読んでみるとこれまたとても洒落ていて、書き言葉でもなく、また単なる会話言葉とも違い味わいがあるのです。

劇は流れなければなりません。そこは音楽によく似ています。だから戯曲というのでしょう。

流れるということは、いちいち立ち停まって考えさせるような言葉は禁物だということです。

流れの中で直感的に解るという所にもってゆかない限り、劇の言葉としては失敗です。

この本の素晴らしさは、読み始めてしばらくもしないうちに、読者を全く別の世界に連れて行ってしまうところです。

 

 

私がこの本を読みたくなったのは、三月十一日以降、ドイツで合う人合う人が地震と津波と福島のことしか言わないからでした。

しかもドイツ人特有の説教がましいものの言い方に辟易していたからです。

援助をしなければならない、福島の放射能がどこまで地球に害があるのか、と知ったかぶりの説教が始まるからです。

そして挙句の果てに祈りましょう、瞑想しましょうと強制的に迫って来るのです。

メーテルリンクの青い鳥はそういう中で私を別の世界に運んでくれました。

現実から逃避しているのでは、なんて説教がましいことを言う人は、現実とは何なのかをもっと考えてほしいと思います。

ジャーナリズムが現実だと考えているのでしたら、あなたこそ現実から逃避させられているのです。

青い鳥の中で語られたさまざまな生きた言葉に接してとても元気をもらいました。

その元気は、現実の中で感じ考える勇気だといえます。

惨事が起こって、救援だと舞い上がりそうになる私を、そっとなだめてくれました。

人を助けるという作業はもっと深い所から見るべきだと暗示してくれたのです。

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